ゲーリュオーン
[Wikipedia|▼Menu]
ヘーラクレースと闘うゲーリュオーン。E群のアンフォラ紀元前540年ごろ。ルーヴル美術館蔵。

ゲーリュオーン(古希: Γηρυ?ν, G?ry?n)は、ギリシア神話に登場する怪物である。クリューサーオールカリロエーの子で[1][2]エキドナと兄弟[3]

ゲーリュオーンはアイスキュロスおよびラテン語による表記で、叙事詩中ではゲーリュオネウス(Γηρυονε??, G?ryoneus)、イオーニアアッティカ散文作品やアリストパネースピンダロスなどではゲーリュオネース(Γηρυ?νη?, G?ryon?s)、ステーシコロス抒情詩では Γαρυ?να? 、カルキディアの壺絵の表記では Γαρυ??νη?' となっている。エトルリア語ではケルン(Cerun)。日本語では長母音を省略してゲリュオン、ゲリュオネウス、ゲリュオネスとも表記される。

ゲーリュオーンの最大の特徴はその形態で、三頭[4]、または三頭三体の怪物であるとされた[5][6][7]。古注によると、ステーシコロスはゲーリュオーンには6つの腕、6つの脚があり、そして翼が生えていた、と歌っていたらしい。アポロドーロスはさらに詳細に、「三人の男の身体が腹で一つになっていて、脇腹と太腿からは三つに分かれた身体を持っていた」と叙述している[8]

ステーシコロスによるとゲーリュオーンは鎧兜をつけ、盾と槍でもって武装する古代ギリシア市民の重装歩兵の格好をしていた。対照的にヘーラクレースライオンの皮一枚を身にまとい、武器は棍棒か弓矢、剣といういでたちだった。この対比は多くのギリシア美術に表現されている。ゲーリュオーンの牛獲りは古代ギリシアで非常に好まれたモチーフで、130ほどの事例が知られている。
ヘーラクレースとの戦い

ゲーリュオーンは、オーケアノス(大洋)の彼方にあり、まわりに海しかないエリュテイアの島(正確な場所は不明だが、スペイン南部のタルテーッソス[9]あるいはガデイラなどの説がある[8][10][注 1])で牛の群れを飼っていた[13]。牛飼いはエウリュティオーンといい、牧犬は頭が2つあるオルトロスだった[14][8]ヘーラクレースは12の功業の十番目のものとしてエウリュステウス王にこの牛の群れを奪ってくるように命じられ、途中でさまざまないさかいを起こしながらも、エリュテイアに到着した。彼の姿を認めたオルトロスが襲撃したが棍棒で殺され、さらに犬を助けに来たエウリュティオーンまでも殺害された。これを知った別の牛飼いメノイテース(ハーデースの牛を飼っていた)がゲーリュオーンにこのことを告げ、ゲーリュオーンは牛を追っていたヘーラクレースに追いつき、戦いを挑んだ。しかし矢で射られて殺された[8]

ヘーラクレースは牛の群れを追っていたが、ローマの伝説によると途中でカークスという怪物盗賊がこれを盗み出した。ヘーラクレースはカークスを殺して再び牛を我が物とした[15][16]
ゲーリュオーンの死後

ゲーリュオーンは死後、ウェルギリウスによれば冥界の住人となっていた。しかしスエトニウスの『ローマ皇帝伝』第3巻14によると、ティベリウスは遠征の道すがらパタウィウムの近くにあるゲーリュオーンの神託所に寄っておみくじを引いたという。

パウサニアースが伝えているところによると、上リューディア地方の小さな町テメヌ・テュライの丘が嵐のために割け、そこから巨大な人骨のようなものが露出した。あまりに大きいので、これはクリューサーオールの息子ゲーリュオネースの骨だと評判になった。近くには玉座もある、という噂まで立った。パウサニアースによれば、山の突端の岩塊に玉座のようなものが彫られていたという[17]。パウサニアースが「彼はガデイラにいたはずだ」と反論すると、当地の神官たちは彼に「あの骨はガイアの息子であるヒュロスのものだ」と説明したという[12]
神話の変容


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:69 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef