ゲームボーイ
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この項目では、携帯ゲーム機について説明しています。バリエーションについては「ゲームボーイシリーズ」を、マガジンボックスのゲーム雑誌については「ゲームボーイ (ゲーム雑誌)」をご覧ください。
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ゲームボーイ

メーカー任天堂
種別携帯型ゲーム機
世代携帯機第3世代
発売日 1989年4月21日
1989年7月31日
1990年9月28日
1991年5月2日
1992年
CPULR35902(4MHz)
対応メディアロムカセット
対応ストレージバッテリーバックアップ
コントローラ入力内蔵
外部接続通信ポート
売上台数 1,242万台
1,800万台
4,942万台
最高売上ソフト テトリス /424万本(単独)[1]
ポケットモンスター 赤・緑 /822万本(2本合計)[1]
テトリス /3,500万本[1]
前世代ハードウェアゲーム&ウオッチ
次世代ハードウェアゲームボーイカラー
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ゲームボーイ(GAME BOY)は、1989年4月21日任天堂が発売した携帯型ゲーム機。略称は「GB」。

日本において1,280万台以上を売り上げた携帯型ゲームであるゲーム&ウオッチの次世代ゲーム機器として発売した商品であり、任天堂の携帯ゲーム機としては2つ目にあたる。同社を玩具メーカーとして成長させた横井軍平が開発した[2]。また、エポック社から発売されたゲームポケコンに次ぐROM交換方式の携帯型ゲーム機である。

開発当初はファミリーコンピュータよりも高画質なメガドライブPCエンジンなどが発売されており、任天堂もこれらに対抗するスーパーファミコンの開発を進めていた状況で、本機は乾電池の持続性と価格面の兼ね合いからモノクロ型(4階調)を採用している。4階調とは黒、濃い灰色、薄い灰色、透明色(白を表現)の4つ[3]。社内では「今さらモノクロで売れるのか」とあまり期待しない声があったが[2]、世界累計で5,000万台近くを出荷した。

後のゲームボーイシリーズの初代機であり、このシリーズは2006年までの17年半に渡って同社から発売された。
沿革

1989年

1月17日 - 同年4月14日に発売と発表される。本体は月産30万台、ソフトは月産100万個のペースでの生産計画[4]

3月 - 任天堂がコナミバンダイカプコンアスキージャレコなど21社とライセンス契約を結び、ライセンスは原則としてゲームソフトの種類ごとに契約する「タイトル契約」とした[5]

4月21日 - ゲームボーイ発売[5]

8月末 - 出荷台数が国内71万台、米国45万台でトータル100万台以上を突破。品薄状態のため、本体の月産を40万台、1990年8月までに月産100万台へ。サードパーティは約50社[6]


1990年

1月 - 品薄状態のゲームボーイなどを人気のないゲームソフトと抱き合わせで小売店に販売していた玩具問屋6社、支店8ヶ所が私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独占禁止法)違反容疑で立入検査される[5]

5月末 - 出荷台数が262万台、サードパーティは72社[7]

7月31日 - ビック東海が任天堂の許諾を得て、ゲームボーイ専用の拡大鏡『ライトボーイ』を日米同時発売、1991年3月までに50万個出荷予定[8]

8月 - 出荷台数が304万台、ソフトは74タイトルで1872万個出荷[9]


1991年

2月 - ゲームギアPCエンジンGTなどの対抗機が出現したことによりいわゆる「携帯ゲーム機戦争」に突入[5]

5月2日 - 韓国にてヒョンデ電子(現・SKハイニックス)からヒョンデ・ミニコンボイ(?? ?????)として発売[注 1]

10月 - 玩具問屋業界、ゲームボーイソフトの在庫が深刻化[5]


1992年

5月 - 日本航空、国際線で機内用のゲームボーイ無料貸出し開始[5]

12月 - アジアでゲームボーイのコピーソフトが出回る[5]


1993年12月 - 国内出荷台数が974万台、米国では1477万台、ソフトの出荷数は国内6105万個、米国6290万個[10]

1994年11月21日 - 初のカラーバリエーションであるゲームボーイブロス発売。

1995年10月 - タカラがゲームボーイをモチーフにした「ゲームボーイシャンプー」を発売[5]

1996年2月 - 『ポケットモンスター赤・緑』発売。このゲームがキラーソフトとなり、完全に下火になっていたゲームボーイ業界が再加熱[5]

1996年7月21日 - ゲームボーイポケット発売。

1997年

7月 - ハドソン全国キャラバンが、ゲームボーイ人気の急上昇を受け『スーパービーダマン ファイティングフェニックス』で開催[5]

12月 - ポケモンショックが起こり、『ポケットモンスター赤・緑』でも画面の高速点滅による健康への問題の有無が取り沙汰された[5]


1998年7月 - バンダイがゲームボーイに接続して使用する魚群探知機「ポケットソナー」を発売[5]

1998年10月21日 - 上位互換性のある新型機『ゲームボーイカラー』発売。

2000年3月1日 - ニンテンドウパワーでゲームソフトの書き換え開始[11]

2003年9月 - 「ゲームボーイ」「ゲームボーイライト」「ゲームボーイポケット」を含めたモノクロシリーズの生産が終了。

2007年10月31日 - 修理サポート終了。

ハードウェア
名称
プロジェクトリーダーの
岡田智が、偶然目にした雑誌名「ゲームボーイ」を気に入り、ゲームボーイの商標を任天堂が取得し、商品名に使用することになった。「ゲームボーイ」という名称がイギリスでは性差別として問題となったこともある。これをコピーライターの糸井重里が名付けたという噂があるが誤り[注 2]
デザイン
パッケージのデザインは横井軍平が行っており、これはデザイン費用を軽減させるためでもあった。裏面を付属品の説明にしたのも横井のアイディアである。発注は、和多田印刷の北工場(当時)。初代ゲームボーイの本体や初期の頃のゲームボーイソフトのパッケージに印刷されている、小さな四角は21個あり、本体の発売日の21日にちなんでいる。初代ゲームボーイの配色や発売日を決めるのに使った花札は、任天堂の裏紙が赤の『都の花』である。
筐体
筐体デザインは、下部がアシンメトリーになっており、左側を軸にして本体を支えつつ十字キーを操作し、よく使うAボタン・Bボタンがある右側の下部は丸みをおびた曲線にして、本体が手首に当たらないように配慮している。横井の発案で、当初はストラップホールの装着が提案されていたが、当時はストラップという存在がほとんど知られていなかったため装着が見送られた[注 3]湾岸戦争で外装が破損したゲームボーイ。Nintendo New York展示。子供が取り扱うものであるため、ゲームボーイ本体には厳しい耐久テストがあり、頑丈に設計されている。耐久テストとして本体を高いところから投げ落とし、壊れた場合には作り直し、投げられた後でもきちんと動作すると確認できてから発売が決定したとも言われ[2]、具体的には「開発当時、任天堂の社長だった山内溥が完成したばかりの最終デモ機を床に叩きつけ、問題なく動作したため発売が決定された」という情報源の不明な逸話が流布している。これについて任天堂広報室は「いつの間にか、そのような話ができあがった」とコメントしている[12]。なお1991年に任天堂は「ゲーム会社にできる唯一の支援」として、クウェートに侵攻したイラクと戦うためにアメリカを中心に約30の国で多国籍軍が編成された湾岸戦争の際、日本からの支援物資として待機中の兵士の慰労のためにゲームボーイを提供した。その後、空爆で倒壊した兵舎から発見されたゲームボーイは、外装がひどく焼けていたが内部には問題はなく、正常に動作したというエピソードがある[13][14]。このゲームボーイはその後、ニューヨークの任天堂直営店「Nintendo New York」に常時『テトリス』のデモ画面が動いている状態でショーケースに入れて保管展示されていた[14]が、2024年現在では展示を取りやめている。
液晶
シチズンから液晶テレビ用のモノクロディスプレイの売り込みがあり、開発がスタートした。本機はシャープと共同で開発し、シャープは40億円を投じゲームボーイの液晶開発用の工場を設立。液晶は同社のものを使用している。画面はSTN反射式モノクロ液晶


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