ゲームギア
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ゲームギア

メーカーセガ・エンタープライゼス
種別携帯型ゲーム機
世代第3世代
発売日 1990年10月6日
1991年
1991年
1992年
CPUZ80A
対応メディアロムカセット
対応ストレージバッテリーバックアップ
コントローラ入力内蔵
外部接続拡張端子
売上台数 178万台
540万台
1,400万台
互換ハードウェアキッズギア[1]
次世代ハードウェアノーマッド
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ゲームギア(GAME GEAR)は、セガ・エンタープライゼスが開発した携帯型ゲーム機。国内初のカラー画面の携帯ゲーム機である[2]。セガハードとしては、最初で最後の携帯ゲーム機である[2]

日本においては1990年10月6日に発売[3]し、北米・欧州・アルゼンチンでは1991年、オーストラリアでは1992年に発売された。

最大の特徴は当時フルカラーと呼ばれていた4096色同時発色のカラー液晶パネルだった[4]。国内では初めてカラー画面を採用し[2][3]、「TVオートチューナーパック」をセットすれば液晶カラーテレビとしても利用でき、多目的で活用できたゲーム機である[2][3]

1997年4月30日にサポートを終了した。累計販売台数は全世界で1,400万台[5][6][7]。内訳としては海外(日本国外)で865万台、日本国内で178万台。
開発

当機の基板の設計をはじめ、デザインや制作過程の管理、そのすべてを手掛けた人物はセガの矢木博[2]である。

開発のきっかけはゲームボーイATARILynX(リンクス)の存在であり、これらに勝てる携帯ゲーム機を作ろうとの意図で開発された[2]。開発コードネームはProject Mercury[4]

目指した仕様は、3.2インチでカラーの液晶画面搭載で、重さはLynXの800グラムとゲームボーイの270グラムの中間である500グラム[2]。当時は個人向けのテレビの普及が進んでおらず、据置機で遊びたいユーザーとテレビを見たい家族との間でチャンネル争いが起きることもあったことから、ゲームギアに「持ち運びのできるテレビ」という付加価値をつけるべく[4][8]、TVチューナーも当初から付ける予定だった[2]。また当初から「パーソナルディスプレイ」というコンセプトがあった。ゲームギアがあれば、家庭のテレビを独占することなくゲームが遊べるというメリットがあり、さらに、いろいろなものに接続できれば幅広い層に広まるのではないかと考えた[2]。そこで「アフター・サムシング」というコンセプトで当機のアイディアを練った[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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