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ゲーム&ウオッチ
メーカー任天堂
種別携帯型ゲーム機
世代第2世代
発売日 1980年4月28日(ボール)
対応メディア内蔵ゲーム
コントローラ入力内蔵
売上台数 1,287万個
4,340万個
前世代ハードウェアオデッセイ (ゲーム機)
次世代ハードウェアゲームボーイシリーズ
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ゲーム&ウオッチ[注釈 1](ゲームアンドウオッチ、GAME&WATCH)は、任天堂発売の携帯型液晶ゲーム機(電子ゲーム、LSIゲーム)。CMなど一般での呼称は「ゲームウオッチ」。 任天堂にとって、初の携帯型ゲーム機であり、ゲームソフトが本体内のROMに書き込まれた「1ハード1ソフト」方式の機種である。そのためファミリーコンピュータなどの同社後継ゲーム機のようにカートリッジ(ロムカセット)交換で様々なソフトを実行することはできない。ゲームをしない間は時計として使え、これが商品名「ゲーム&ウオッチ」の由来となった(後にアラーム機能も付くようになった)。 第一作は1980年4月28日発売の『ボール』。手元で遊べる手軽さが受けてヒットし広範な層を捉えた。同年6月、7月にも『フラッグマン』『バーミン』『ファイヤ』と3つの新作を発売、これもヒットし、その後もほぼ「1ヶ月に1タイトル」ほどのペースで新作を発表した[1]。 1983年にファミリーコンピュータが発売されると人々の関心はそちらへ移り、1985年2月発売の『ブラックジャック
概要
販売総数は日本で1287万個、日本国外で3053万個、総計4340万個を記録した[1]。当シリーズの大ヒットとその利益により、任天堂は当時抱えていた70億円近くもの莫大な借金を完済でき、さらに40億円ほどの黒字にもなった[2]。任天堂を高収益の優良企業へと成長させたゲーム機シリーズであり、これで得られた利益がファミリーコンピュータの開発に投資されたことでも知られ、任天堂のテレビゲーム路線のきっかけを作った製品とも言える。
また、後の「ゲームボーイ」「ニンテンドーDS」などの携帯ゲーム機の元祖としても知られる。 横井軍平が、新幹線の中で暇潰しに電卓のボタンを押して遊んでいる人を見て、「暇つぶしのできる小さなゲーム機」として発案[3][4]。その後、横井がたまたま社長車の代理運転手を引き受けたとき、運転中に雑談ながら構想を社長の山内博に話したところ、向かった会合先で、液晶生産用の新工場を立ち上げたものの電卓の需要が頭打ちとなり、新たな応用先を探していたシャープ社長の佐伯旭に伝わり、「電卓サイズのゲーム機」を作ることに意気投合して一気に具現化した[5]。 当時の任天堂には液晶やマイコン(マイクロコントローラ)関連の技術が不足していたのでシャープと共同開発をした[6]。当初は液晶とマイコンの製造は技術的に難しいと断わられたが、横井の置いていった試作機をシャープの技術者が遊んだ事がきっかけで製品化が実現した。 横井軍平がゲームのアイデアとゲームデザイン、岡田智が電子回路の設計とゲームプログラムを担当した[7]。 時計機能については、もともとは入れる予定はなく、名前も「マイクロゲーム」とする予定だった[8]。3つのボタンに3種類のゲームを入れる予定だったが、1つが面白くなかったこともあり、それを時計ボタンに変えた[8]。時計機能をつけたのは、時計機能を加えてもコストがあまり高くならず、「時計を買うため」ということで大人にも買いやすくなると見込んだためである[8]。 当初はサラリーマンなどが通勤途中に遊べるもの[4]、という目的を念頭に、座った時に手を組んだまま「隠して操作できる」ワイシャツのポケットサイズでデザインされた。ゲーム内容も横井が「誰もが説明書を読まなくても遊べるゲーム」を目指し、親指でボタンを押すだけの極力シンプルな操作体系にした「ゲーム付きの時計」というコンセプトで開発した。しかし発売後は小中学生が主な購買層となったため、その後はターゲットを変更し、よりゲーム性が重視されることになった。 なお、同時期に上村雅之がほぼゲームボーイに近いスペックのゲームを構想していたが、そちらのほうはコスト面などの問題が解消できず、開発の着手に至らなかった[9]。ゲームウォッチ発売から9年後、ゲームボーイが発売されるに至った。 液晶画面は、液晶セグメント表示方式でキャラクターなどの動きを表現しており(つまりドットマトリクス方式ではなく)、モノクロ(単色)であった。 最初期のシリーズ5作品までは完全なモノクロ画面である。続く「ゴールド」シリーズでは液晶の前面に別のスクリーンが置かれ、カラーで背景やオブジェを表現。以降、画面を約1.7倍に広げた「ワイドスクリーン」、2画面の折り畳み式にした「マルチスクリーン」、カラー液晶を採用した「テーブルトップ」と「パノラマスクリーン」、4色に色分けされたカラースクリーンで疑似カラー画面を表現した「スーパーカラー」、さらに2020年の「カラースクリーン」よりフルカラードット液晶へと発展していった。 初期のゲームウオッチは、プレイヤーキャラクタの移動も含め、本体左右に装備された丸ボタンで操作していた。 マルチスクリーン『ドンキーコング』はゲーム機史上初めて十字キー(説明書での呼称は『+ボタン』)を装備した[10]。 本機の開発にあたり採用したチップ(集積回路)は電卓で使われているものだった[1]。電卓のディスプレイのひとつの数字は7セグメントで表示されており(7セグメントディスプレイ)、つまり0から9までの数字はいずれも、それぞれが「セグメント」と呼ばれるパーツを7個組み合わせて数字を表示している[1]。したがって8桁の電卓用のチップなら、7セグメント×8桁=56セグメント、および数字の間の小数点や「?(マイナス)」などの記号のセグメントを制御できる能力もあった[1]。つまり56個よりは数個ほど多い数のセグメントを制御できる能力があった。 そのチップを使って第一作の『ボール』をつくった[1]。
ハードウェア
開発
表示装置画面サイズ比較。COLOR SCREEN(上)とWIDE SCREEN(下)の比較
入力装置
電源
シルバー、ゴールド、ワイドスクリーン - ボタン型電池(LR43またはSR43)2個
マルチスクリーン、 ニューワイド、パノラマスクリーン、スーパーカラー、マイクロVSシステム - ボタン型電池(LR44またはSR44)2個
カラースクリーン テーブルトップ - 単2型乾電池2個
クリスタルスクリーン - コイン形リチウム電池(CR2025)1個
チップの選択、セグメント数
Size:143 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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