ゲヴァントハウス管弦楽団
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ライプツィヒ・ゲヴァントハウス
管弦楽団
Gewandhausorchester Leipzig
本拠地のゲヴァントハウス
基本情報
出身地 ドイツザクセン州 ライプツィヒ
ジャンルクラシック音楽
活動期間1743年 -
共同作業者アンドリス・ネルソンスカペルマイスター
公式サイト ⇒www.gewandohaus.de

ポータル クラシック音楽

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(ドイツ語: Gewandhausorchester Leipzig)は、ドイツライプツィヒに本拠を置くオーケストラである。
目次

1 概要

2 関連演奏団体

3 年表

4 指揮者

4.1 音楽監督

4.2 カペルマイスター


5 メンバー(楽器順)

5.1 コンサートマスター

5.2 弦楽器

5.3 木管楽器

5.4 金管楽器


6 初演作品

7 モットー

8 脚注

8.1 注釈・出典


9 外部リンク

概要

1743年、世界初の市民階級による自主経営オーケストラとして発足した。それまでの宮廷専属(歌劇場含む)オーケストラと異なり、このオーケストラの誕生で、自らの城や宮殿などを「演奏会場」として音楽を聞いていた王侯貴族のような身分・階級でなくとも、入場料さえ払えば誰でもオーケストラ演奏を聞けるようになった。

1835年メンデルスゾーンがゲヴァントハウス・カペルマイスター(楽長)になると、技術的にも、そして楽員の年金制度創設など待遇面でもより基盤が固まり大きく飛躍することになった。ベートーヴェンシューベルトメンデルスゾーンシューマンブラームスブルックナーをはじめ、多くの作曲家の作品を初演してきたことでも知られる。

本拠地となる現在のホールは、1981年完成の3代目ゲヴァントハウスである。1781年の初代ゲヴァントハウス以降、代々のホールに、このオーケストラのモットーが掲げられている。

ライプツィヒ歌劇場のオーケストラも兼ねているが、ウィーンやドレスデンのように歌劇場管弦楽団が限られた期間にコンサートを行うのではなく、多人数(2018年公式HPに掲載されている団員数は200名以上)のローテーションに拠っているため、オペラ、コンサートともにフル稼働している。
関連演奏団体

楽員による自主運営団体については、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団やゲヴァントハウス・バッハ管弦楽団がある。前者は1808年に結成され、2008年に結成200周年を迎えた世界最古の弦楽四重奏団で、結成から現在まで継続して首席奏者たちにより演奏活動が行われている。歴代メンバーには、メンデルスゾーンブラームスチャイコフスキー、これら3つのヴァイオリン協奏曲の各初演ヴァイオリニストの3名が名を連ねている[1][2]。声楽では、ゲヴァントハウス合唱団、ゲヴァントハウス児童合唱団がある。前者は1861年、ゲヴァントハウス・カペルマイスターのカール・ライネッケにより創設され、1869年2月18日、ライネッケ指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団により初演されたブラームスの『ドイツ・レクイエム』で合唱を担当している。
年表

1743年 3月11日 16名のメンバーで最初の「Grose Concert(大コンサート)」を開催。市民階級の設立したフェライン(ドイツ語で組合協会の意味)により運営されていたため、最古の民間オーケストラといわれる。

1744年 3月9日 1周年記念コンサートが開かれ、リーダーを務めてきたヨハン・フリードリヒ・ドーレスバッハの弟子で後のトーマスカントル)のカンタータが上演された。この年からブリュールのゲストハウス「Drey Schwanen(三羽の白鳥)」に演奏会場を定める。

1756年 七年戦争のためコンサート活動が停止に追い込まれた。戦前「Grose Concert」のフルート奏者を務めていたヨハン・アダム・ヒラーを指揮者に迎え、1763年活動が再開された。

1781年 11月25日 大学通りの「ゲヴァントハウス」(織物の見本市会場として使われていた建物)へ演奏会場を移し、初代カペルマイスターヒラーのもとコンサートが開かれた。(この会場名が楽団名の由来となる。)

1811年 11月28日 フリードリッヒ・シュナイダーのピアノ独奏で、ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op73「皇帝」の初演が行われる。

1835年 メンデルスゾーンがカペルマイスターに就任し黄金期を迎えた。この時期、古典に加え、メンデルスゾーン本人やシューマンらの作品も多く初演され、この二人の協力によってシューベルト「ザ・グレート」の初演も行われている。

1840年 9月26日 ゲヴァントハウス管弦楽団が市の管轄下におかれ、「シュタットオーケストラ」としての役割(市の行事や教会での演奏)を担うようになった。 このため今日でも聖トーマス教会ライプツィヒ歌劇場での演奏を担当することが伝統になっている。

1881年 11月25日 創立100周年記念コンサートには、ヨーゼフ・ヨアヒムがソリストとして登場した。この年のメンバー増員で、低弦各6名、木管各4名、ホルン6名などの体制になった。

1884年 12月11日 グラッシ通りに「新ゲヴァントハウス」が完成し、当時のカペルマイスターであるカール・ライネッケのもと、3夜連続でオープニングコンサートが開かれた。


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