ゲルマン・グリゴリイェヴィチ・オークネフ(ロシア語: Герман Григорьевич Окунев / German Grigoryevich Okunev, 1931年6月12日 レニングラード – 1973年6月12日 レニングラード)は、ソビエト連邦のロシア人作曲家・ピアニスト・教師。 エンジニアの父とドレスメーカー
略歴
1964年にリムスキー=コルサコフ音楽院に復学し、大学院課程でドミートリイ・ショスタコーヴィチの薫陶を受ける。ショスタコーヴィチはオークネフを高く評価し、後にオークネフが作品を上演してもらえるように手を貸した。
1968年にラドガ湖での事故で、すんでのところで溺死しかけている。1973年5月27日に夫人とともに交通事故に巻き込まれ、それから17日後の42歳の誕生日に息を引き取った。
オークネフの死後、小惑星1099番は、発見者ニコライ・チェルヌイフによって「オークネフ」と命名された。 オークネフは、馴染みのキルギスタンの音楽に、直接的にではないにせよ、強力に影響されつつ、独自の作曲様式を繰り広げた。 作品は2つの交響曲のほか、(《トランペットのためのソナチネ》を含む)さまざまな室内楽曲や、オーボエ協奏曲、2台ピアノのための協奏曲に加えて、(組曲《虹》などの)児童向けの作品が存在する。トロンボーンとピアノのための《アダージョとスケルツォ》は西欧で録音されている[1]。その他のオークネフ作品は、ソ連時代に録音されてはいたものの、現在は入手することができない。 《交響曲 第1番》(1962年-1964年)は、ショスタコーヴィチに師事しているさなかに作曲された。初演は1966年4月にイルクーツクで行われた。簡潔ながらも表現力に富み、入念に労作された《交響曲 第2番》は、おそらくオークネフの最高傑作である。初演は1972年にレニングラードで初演されたが、再演されたのは作者歿後のようやく1974年、ヤロスラヴリにおいてであった。
作風
註^ ⇒Recording on BIS
参考文献
Sergei Sigitov (ed.), German Okunev, Liki Tvorchestva i Vremeni, St. Petersburg 2006 ISBN 5-88718-054-4
典拠管理データベース
全般
ISNI
VIAF
WorldCat
国立図書館
フランス
BnF data
ドイツ
イタリア
⇒イスラエル
アメリカ
チェコ
ポーランド