ゲルストホーフェン
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紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:バイエルン州
行政管区:シュヴァーベン行政管区
郡:アウクスブルク郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度25分32秒 東経10度52分45秒 / 北緯48.42556度 東経10.87917度 / 48.42556; 10.87917座標: 北緯48度25分32秒 東経10度52分45秒 / 北緯48.42556度 東経10.87917度 / 48.42556; 10.87917
標高:海抜 469 m
面積:34.01 km2
人口:

22,847人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:672 人/km2
郵便番号:86368
市外局番:0821, 08230
ナンバープレート:A, SMU, WER
自治体コード:

09 7 72 147
行政庁舎の住所:Rathausplatz 1
86368 Gersthofen
ウェブサイト: ⇒www.gersthofen.de
首長:ミヒャエル・ヴェルレ (Michael Worle)
郡内の位置

地図

ゲルストホーフェン (ドイツ語: Gersthofen, ドイツ語発音: [g?rst?ho?f?n] ( 音声ファイル)[2]) は、ドイツ連邦共和国バイエルン州シュヴァーベン行政管区アウクスブルク郡に属す市である。本市はアウクスブルクと直接市境を接している。
地理
市の構成

本市は7つのゲマインデタイル(地理上の地区)で構成されている[3]

バッツェンホーフェン

エーデンベルゲン

ガイレンバッハ

ゲルストホーフェン

ヒルプリンゲン

ペーターホーフ

レッテンベルゲン

歴史
先史、古代

ゲルストホーフェンは古代からの集落であったとされている。人が定住した最も古い痕跡は、新石器時代紀元前3000年頃)のものである。ハルシュタット時代後期(紀元前500年から400年)にケルト人がこの地に定住した。彼らは、ローマ人が Vindeliker と呼んだ部族に属した。1964年の運河建設工事の際にケルト人女性の墓の遺跡が見つかり、そこから紀元前4世紀の銅製の腕飾りが発見された。ゲルストホーフェン=ペーターホーフ地区の南、レッテンベルゲン地区に属す小集落にケルト時代後期の四角形の砦跡がある。これはラ=テーヌ時代後期に造られたもので、新しい研究により大きな集落構造に組み込まれたマナーハウスであると解釈されている。

紀元前15年のアウグストゥスのアルプス侵攻(ドイツ語版)によりケルト人支配の時代が終わり、この地域はローマ人が支配した。この新しい、のちにラエティアと呼ばれることになる地域を開発するために、北イタリアと南ドイツとを結ぶローマ街道クラウディア・アウグスタ街道」が建設された。1950年代の暗渠化工事により、市内を約 5800 m にわたって貫いていたクラウディア・アウグスタ街道の北端部分の遺構が確認された[4]

教区教会の聖ヤーコブス教会は、1世紀ローマ時代の聖域跡に建設されている。これは1854/55年の解体工事の際に発見された。ローマの神メルクリウス生贄を捧げる場として利用された可能性がある[5]。銘文によれば、創設者は Senno という名前のローマ化したケルト人である。神殿の基礎部分や平面構造がないことから、戦利品として教会建設のための資材として転用された可能性がある。
中世

ローマ時代の終焉と260年頃のリーメス突破により、アレマン人レヒ川とイラー川(ドイツ語版、英語版)との間に進出した。1932年にゲルストホーフェンで発掘された列状墓も、アレマン人集落の最初の痕跡を示している。かつての修道院が、ゲルストホーフェンの歴史的な集落中心地を形成した。このエリアには7世紀後半からゲルマン人ゲルフレートの領主館があり、これがカロリング朝時代にマイアーホーフへ、さらに後にヴィドゥム(未亡人領)となった[6]

地名のゲルストホーフェン (Gersthofen) は、初代のジッペの長あるいは村の長に由来する。最初の記録は969年にアウクルブルク司教ウルリヒ(ドイツ語版、英語版)の文書に現れる。教会レーエンとして所有していた Gerfredeshoua の財産と土地を新設された聖シュテファン女子修道院の修道院長エーレンジンダに与えるという内容のものである。1150年に、後の聖十字架修道院の文書に、Gereshouen に所有する農場を寄進する事が記されており、ヴァルター司教によって他の寄進物とともに確認されている。

1143年教皇ケレスティヌス2世の勅書では、ゲルストホーフェンはすでにアウクスブルク聖堂参事会の財産として記録されている。聖堂参事会は、特に、ゲルストホーフェン、メルティンゲンビーバーバッハの管理者を指名する権利を有していた。聖堂参事会は購入したり、交換したりという手段で徐々に村の全域を所有するようになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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