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ゲラン
Guerlain
シャンゼリゼ通り68番地の店舗外観
本社所在地 ルヴァロワ=ペレ
設立1828年
事業内容化粧品製造・販売
代表者ベロニク・クルトワ (Veronique Courtois)
売上高20億フラン (1992)
純利益1億6200万フラン (1993)
主要株主LVMH
外部リンクGUERLAIN
ゲラン (Guerlain) は、フランスの香水・化粧品メーカー。
1828年にピエール=フランソワ=パスカル・ゲラン (Pierre Francois Pascal Guerlain) が、現在のパリ1区リヴォリ通り228番地[1]に店を開いたことに始まる。
皇后ウジェニーに献上した香水「オー・デ・コロン・イムペリアル」[2] (Eau de Cologne Imperiale) により帝室御用達となる。1889年に発表したジッキー (Jicky) が合成香料を用いた近代香水として高い評価を受ける。その後もルール・ブルー (L'Heure Bleue) 、ミツコ (Mitsouko) 、シャリマー (Shalimar)、夜間飛行 (Vol de Nuit) などの香水を出して名声を得た。ゲランはその香水の多くにバカラ社製の香水瓶を用いた。
1912年にシャンゼリゼ通り68番地に店舗を開く。ゲランは4代目調香師のジャン=ポール・ゲランまでの間、ゲルリナーデ (Guerlinade) と呼ばれる香りの調合法を受け継いで調香を担った。ゲランは創業以来同族経営を行なっていたが、1987年以降はLVMHによる企業買収を受けて1994年にその傘下に入った。2011年時点で約80の国と地域に事業展開している[3]。 1798年、ピエール=フランソワ=パスカル・ゲラン
歴史
オー・デ・コロン・イムペリアルと「ゴールデンビーボトル」。栓の形状・装飾は1924年に変更があり献上当時の意匠と異なる
1853年、ゲランはナポレオン3世の皇后ウジェニーに「オー・デ・コロン・イムペリアル」 (Eau de Cologne Imperiale) を献上した。この香水は1830年に調香した「フルール・ドゥ・セドラ」 (Esprit de Fleurs de Cedrat) をポシェ・エ・デュ・キュルバル社が製作した香水瓶「ゴールデンビーボトル」に封入したものである[11]。シトラス系の香水「オー・デ・ゲラン」 (Eau de Guerlain) を封入していたとの説もある[12]。この香水瓶は帝政様式を持ち、ラ・ペ通りにあるヴァンドーム広場の円柱をモチーフに、ナポレオン3世のシンボルである69のミツバチの意匠を側面に純金を用いて描き散りばめていた[13]。ピエール=フランソワ=パスカルはこの香りの成功により帝室御用達調香師の称号を得た。ピエール=フランソワ・パスカルは1864年に亡くなり、息子であるエメとガブリエルが調香と経営を分業して受け継いだ。ゲランはニキビやニキビ跡の赤みをケアする「クリーム・カンフレア」 (Creme Camphrea) を1870年に[14]、初めてのスティックタイプのリップ「ヌ・ムブリエ・パ」 (Ne M'oubliez Pas) を1871年に発売した[15]。ゲランはこの時期までにフランスにおける高級香水商の地位を確立した[16]。