この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?"
ゲッパチ!UNアワー
ありがとやんした!?
ジャンルバラエティ番組
演出片岡飛鳥
出演者ウッチャンナンチャン
ホンジャマカ
バカルディ
フォークダンスDE成子坂
ほか
製作
プロデューサー吉田正樹
制作フジテレビ
放送
放送国・地域 日本
放送期間1994年4月11日 - 1994年9月12日
放送時間月曜 20:00 - 20:54
放送分54分
回数23
テンプレートを表示
『ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?』(ゲッパチ ウンナンアワー ありがとやんした)は、1994年4月11日から同年9月12日までフジテレビ系で放送されていたバラエティ番組である。放送時間は毎週月曜 20:00 - 20:54 (JST) 。 人気番組だった『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』が事故で打ち切られてから久々にスタートしたウッチャンナンチャンの冠番組である。スタッフは『やるやら』と同様に「吉田班」が参加。番組タイトルの「ありがとやんした」は、マセキ芸能社社長の口癖に由来する。なお、開始前の仮タイトルは『ウッチャンナンチャンの月よう日はマッサージ』だった[1]。 番組開始当初は『欽ドン!』のような投稿ネタを紹介する内容だったが、この路線はすぐに変更された。また、前期では録画放送だったが、後期ではコントや企画が大半を占めるようになり、スタジオから生放送することもあった。最終回では、ショートコントライブが行われた。 また、番組のオフレコ時に勝俣州和が南原の出身地である香川県を扱き下ろしたことで南原と小競り合いになってしまい、その後しばらく番組内で勝俣が「うどんと野球しかない」「四国四県の中で唯一、最後まで名前が出てこない」などと香川県を散々馬鹿にして南原を怒らせ、さらにはヒロミや松崎しげるなどの芸能人までも巻き込んだ挙句、しまいには勝俣が南原の実家まで押しけるという形で、香川県を世間にアピールする企画が展開されたことがある。番組終了の半年後、深夜枠で『UN FACTORY カボスケ』(『UN FACTORY ソムリエ』に改題)が開始、1年後には再びゴールデン・全国ネット枠で『天下ごめんネ!!』(のちに『突撃!お笑い風林火山』に改題)が開始された。 番組内容は前期と後期で大きく異なり、前期は視聴者からの投稿ネタを軸にしたコーナーが中心で各コーナーの最優秀作品には「やんした賞」として賞金1万円と、番組特製のTシャツがプレゼントされ、番組の最後には、さらにその「やんした賞」の中から最優秀作品を決定。「やんした大賞」として賞金3万円と番組特製のグッズが「やんした賞」に追加してプレゼントされた。後期はコント(やるやら時代の焼き増しが大半)とロケ企画を中心とした内容となった。
番組概要
コーナー
前期の主なコーナー
ジェフからの返事
視聴者からの有名人への質問ハガキを読み、その答えをウンナンがものまねで演じる。
世紀末ニュース→世紀末ニュースDX オトせるモンならオトしてごらん!!
現在起こっているニュースが1年後、世紀末にはどうなっているかを3段オチでボケるコーナー。当初内村が毎週1本ずつ自分でネタを投稿して自分で紹介しており(その際の住所は自身の出身地である熊本県人吉市)、内村の名前が出るたびに南原が呆れるのがお約束だった。現役アナウンサーの近藤以外がニュースを読み上げる際にやたらと噛んでネタを台無しにしてしまうことが多く、ついにはウンナンの師匠である内海好江をはじめ3人の審査員を置いたうえ特設セットを組んで、噛んだ場合(ネタ自体が面白くなかった場合も)は真下の氷水プールへ突き落すという、最初とは趣旨が全然異なる大仕掛けのコーナーになってしまった。なお万が一近藤が噛んだ場合のため、中央の「現在ニュース」のブースも底が抜けるようになっていたが、一度も近藤が落ちることはなかった。
アキラの社長!いいもんもってんね
南原粉する大物俳優「中王彬」と内村アナウンサーが社長さんのお宅を訪問するコーナー、南原に内緒で本物の中尾彬が登場した事もある。このコーナーを機に中尾がバラエティ進出をする切っ掛けになり、一気にバラエティ番組の常連となった。
私が知ってるあそこの話
視聴者が実態に体験した面白いエピソードをウンナン、バカルディ、ホンジャマカ、が再現コントにして紹介するコーナー。
あー!!のコーナー
あっーの後に続く面白いコメントを募集しコント形式で紹介するコーナー。
本気と書いてマジと読む!!
○○と書いて××と読むという形式で面白い回答を募集し紹介するコーナー。