この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン"
ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン
大学設置/創立1737年
学校種別公立
設置者ハノーファー選帝侯ゲオルク・アウグスト
本部所在地ドイツニーダーザクセン州ゲッティンゲン
学生数31,619
ウェブサイトhttps://www.uni-goettingen.de/en/1.html
テンプレートを表示
ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン(ゲオルク・アウグストだいがくゲッティンゲン、英語: Georg August University of Gottingen、公用語表記: Georg-August-Universitat Gottingen)は、ドイツニーダーザクセン州ゲッティンゲンに本部を置くドイツの公立大学。1737年創立、1737年大学設置。大学の略称はGAUGあるいはゲッティンゲン大学(ドイツ語Universitat Gottingen; 英語University of Gottingen)。 1737年にハノーファー選帝侯ゲオルク・アウグスト(英国王ジョージ2世)によって設立。創設者のゲオルク2世は、ハレ大学を見本とする科学尊重の大学として、この大学を設立した。法学、哲学、数学、物理学において伝統的に実績を有し、特に数学に関しては19世紀の中頃から20世紀の前半にかけて、フェリックス・クラインやダフィット・ヒルベルト、さらにはヘルマン・ミンコフスキーをはじめとする多くの有能な数学者が集まり、世界の研究の中心としての役割を果たした。 その後もヨーロッパにおける学術拠点としての機能を持ち続けたので、第二次世界大戦中はイギリスとドイツはケンブリッジとゲッティンゲンをお互いに爆撃しないという紳士協定を結んでいた。 現在では北ドイツ最大の州であるニーダーザクセン州を代表する大学で、南ドイツの大学がやや保守色が強いのに対して、地理的にもドイツ中央部に位置するためか、進歩色から中道寄りの校風である。1980年代には緑の党の拠点の一つでもあった。
沿革
大学組織・教育体制
キャンパス・施設
大学設立に先立つ1734年に設立された大学図書館
ニーダーザクセン州立兼大学図書館ゲッティンゲン
1989年から発行されたドイツ連邦共和国のマルク紙幣第4シリーズの10マルク紙幣の表面には、カール・フリードリヒ・ガウスの肖像画の背景に本大学の校舎が描かれていた。
10マルク紙幣の表面(1993年発行)大学内の風景
行事・関連事項ガチョウ娘リーゼルの像。花は博士号取得者が贈ったもの
本大学で博士号を取得した人物は(男性も女性も)ゲッティンゲン市庁舎前にあるガチョウ娘リーゼルの銅像にキスを贈るという風習がある。この風習は1926年にこれを禁止する条例が制定されたが、現在では伝統的行事として取り締まりは行われていない。2004年の放火事件によりリーゼル像は大きく破損したが、現在は元の姿に戻っている。 1837年にハノーファー王エルンスト・アウグストの政策に異議を唱えた7人の教授が追放ないし免職となった事件は「ゲッティンゲン七教授事件」(ゲッティンガー・ジーベン)として知られ、大学の自治権の歴史の中で特記すべきものである。7人の教授の中にはグリム兄弟や物理学者ヴィルヘルム・ヴェーバーも含まれ、その後、兄弟はベルリン大学に、ヴェーバーはライプツィヒ大学に移ることになる。その後ヴェーバーは1849年に復職した。(後にこれにちなんで、1960年代末アメリカ合衆国の大学でベトナム反戦運動の中でリーダー的存在となったトム・ヘイドン 現在まで45名のノーベル賞受賞者を輩出している。上述のヴェーバー、グリム兄弟の他にも、数学ではガウス、ベルンハルト・リーマン、クラインの壺で知られるクライン、ヒルベルト、ゲルハルト・ゲンツェン、ヘルムート・ハッセ、ヘルマン・ワイル、哲学ではエドムント・フッサール、社会学ではヘルムート・プレスナー、物理学ではヴェルナー・ハイゼンベルク、マックス・プランク、法学ではルドルフ・フォン・イェーリング、神学ではカール・バルトといった著名な学者がここで教鞭を執った。 また、ロベルト・コッホやフリードリヒ・フレーベル、アルトゥル・ショーペンハウアー、ハインリヒ・ハイネ、アメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマー、アレクサンダー・フォン・フンボルト、ユルゲン・ハーバーマスなどもこの地で学んだ。
大学自治とゲッティンゲン七教授事件
出身者