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ゲイリー・ムーア
Gary Moore
2005年5月
基本情報
出生名Robert William Gary Moore
生誕 (1952-04-04) 1952年4月4日
出身地 北アイルランド
ベルファスト
死没 (2011-02-06) 2011年2月6日(58歳没)
スペイン
ジャンルブルースロック
ハードロック
フュージョン
ブルース
職業ボーカリスト
ギタリスト
ソングライター
担当楽器ギター
ボーカル
活動期間1970年 - 2011年
共同作業者シン・リジィ
スキッド・ロウ
フィル・ライノット
コロシアムII
グレッグ・レイク
イアン・ペイス
コージー・パウエル
ドン・エイリー
ニール・カーター
BBM
公式サイト ⇒www.gary-moore.com
著名使用楽器
Gibson Les Paul
ゲイリー・ムーア(Gary Moore、1952年4月4日 - 2011年2月6日[1])は、北アイルランド出身のロック・ギタリスト、歌手、作曲家。
1974年のシン・リジィ参加で有名になり、以降1980年代はハードロック、フュージョン等を中心に、1990年代以降はブルースロックを軸に活躍。
略歴晩年のゲイリー (2010年11月)
ベルファストに生まれる。父親は地元で有名なプロモーターでクラブの経営などに携わっていた。
小学生の頃ピアノを習い始めるが教師と合わず挫折。10歳の頃にギターを始める。当初はシャドウズのコピーに明け暮れるが、やがてジェフ・ベック、エリック・クラプトン、さらにジミ・ヘンドリックスなどの影響を受け始める。特にピーター・グリーンからは強い衝撃を受け、プロギタリストになる決意を固める。 1966年、The Beat Boysなるグループで、父親の経営するクラブにレギュラー出演する。当時14歳。 1968年、交通事故で演奏ができなくなったギタリストの代役として、ベルファストのアマチュア・グループ、ザ・メソッドに加入。ダブリンをツアー中に、ビートニク・シンガー、ブラッシュ・シールズに誘われスキッド・ロウ
スキッド・ロウ時代
1969年、スキッド・ロウはアイルランドのソング・レーベルから、フィル・ライノットをボーカルに据えたシングル「New Places, Old Faces / Misdemeanour Dream Felicity」でメジャー・デビュー。ムーアが作曲した「Misdemeanour Dream Felicity」が彼のキャリアにおいて最初のシングルとなる。フィル・ライノットを解雇後、フリートウッド・マックの前座を務めた際にピーター・グリーンに気に入られ、フリートウッド・マックを手掛けていたクリフ・ディヴィスにCBSとの契約を勧められる(1983年に誤って初回盤のみ発売された『Dublin Gas Comy.Cooker & Meter Factory』はその時のデモ・テイクである)。
1970年、「キング・クリムゾンへのアイルランドからの回答」として売り出されたスキッド・ロウは、アルバム『スキッド』をリリースする。アメリカツアーも2回敢行、2度目のアメリカ・ツアーではフィルモアにも出演、グレイトフル・デッドのオープニング・アクトの他、オールマン・ブラザーズ・バンドのツアーのサポートも行なう。
1971年夏、34時間でレコーディングされたことに由来するセカンド・アルバム『34時間』をリリース。ヨーロッパへのツアー、3作目のアルバムを録音後、同年秋にスキッド・ロウを脱退。
1972年、ロンドンでザ・ゲイリー・ムーア・バンド (The Gary Moore Band) を結成、1973年5月、初のリーダー・アルバム『グラインディング・ストーン』をCBSからリリースするもセールスには恵まれずグループは自然消滅した。 1974年1月、スキッド・ロウ時代の旧友であるフィル・ライノットに乞われて数ヶ月間、ギタリストのエリック・ベルの代役としてシン・リジィで活動を行う。また3月には、グループのデッカ・レーベルでの最終レコーディングとなるシングル「Little Darlin / Sitamoia」の制作にも参加する。 在籍中のライブでは既にグループの次作『ナイト・ライフ』の収録曲「Still in Love With You」「Showdown」「It's Only Money」などを演奏しており、4作目のデモ・レコーディングも残した。なお、シン・リジィが新たに契約したヴァーティゴ・レーベルからリリースされたアルバム『ナイト・ライフ』では「Still in Love With You」1曲のみ「ゲスト・ギタリスト」としてクレッジットされている。 同年5月、コロシアムのドラマー、ジョン・ハイズマンとともに新たなバンドを結成すべく人選を開始。ドン・エイリー、ニール・マーレイ、ジョン・モールらとともにジャズ・ロック・バンドコロシアムIIを結成し、1976年から1977年にかけて3枚のアルバムを残す。 1977年1月、再び、ブライアン・ロバートソンの代役として、シン・リジィに参加、クイーンとのアメリカ・ツアーに同行する。 1978年8月、シン・リジィに正式加入、コロシアムIIにも在籍したまま、ソロ名義でMCAと契約し、9月、初のソロ名義によるアルバム『バック・オン・ザ・ストリーツ』をリリース、全英アルバムチャートで70位を記録する。
シン・リジィ参加