この項目では、ドイツ連邦共和国第7代首相について説明しています。ドイツ連邦共和国の内相、外相及び国防相を務めたキリスト教民主同盟 (CDU) 出身の人物については「ゲアハルト・シュレーダー (CDU)」をご覧ください。
「ゲルハルト・シュラーダー」とは別人です。
ドイツの政治家ゲアハルト・シュレーダーGerhard Fritz Kurt Schroder
(2014年)
生年月日 (1944-04-07) 1944年4月7日(80歳)
出生地 ドイツ国
リッペ自由州 モッセンベルク
ゲアハルト・フリッツ・クルト・シュレーダー(独: Gerhard Fritz Kurt Schroder、1944年4月7日 - )は、ドイツ連邦共和国の政治家。第7代連邦首相(1998年 - 2005年[1])。ドイツ社会民主党(SPD)の党首(1999年 - 2004年)。 第二次世界大戦中の1944年国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)政権下のドイツ国のリッペ自由州(現在はノルトライン=ヴェストファーレン州の一部)のモッセンベルク
来歴
生い立ち
1958年、国民学校(ドイツ語版)の義務教育を終える。この後レムゴーの町の金物商で小売商人資格の取れる見習修業を受けると、1961年からゲッティンゲンで建設労働者および商店従業員として働いた。戦死者の一人息子として兵役義務から免除される。シュレーダーは、1962年から1964年にかけて、ジーゲンの夜間学校で中等教育修了資格(ドイツ語版)を取得し、1964年から1966年にビーレフェルトで大学入学資格(アビトゥーア)を取得した後、1966年にゲッティンゲン大学に入学する。法学を専攻した。大学生だった1968年、最初の結婚をする(しかし数年で離婚)。1971年、第一次司法試験に合格し大学を卒業。司法修習生となる。1972年に二度目の結婚をするが、再び数年で離婚する。1976年、国家司法試験に合格して弁護士免許を取得。弁護士としては、ドイツ赤軍テロリストの弁護を担当したこともある。 1963年、ドイツ社会民主党(SPD)に入党。1978年にSPDの下部組織・社会主義青年団(ユーゾー)の連邦代表に就任し、1980年までその役職を務める。 1980年、ドイツ連邦議会議員に初当選。連邦議会議員時代の1984年に三度目の結婚(その後、三度離婚する)。 1986年、ニーダーザクセン州議会議員に転じ、1990年までSPDのニーダーザクセン州議会議員団長および野党代表を務める。1990年に州議会選挙でSPDが勝利し、ニーダーザクセン州の州首相となる。同年、フォルクスワーゲン社の監査役に就任し、1998年までその職にあった。1993年、SPDの党首選挙に出馬するが、ルドルフ・シャーピング(後にシュレーダー政権の国防相)に敗北。1994年、同盟90/緑の党と連立政権を組み、州首相に再任。1997年、各州政府の代表からなる連邦参議院の議長となる(任期一年)。この年、ジャーナリストだったドリスと四度目の結婚、2016年に離婚。夫妻には夫人の子が一人、2004年と2006年に迎えた養子が二人いたが、シュレーダーに実子はいなかった。 1998年、「新しい中道」をキャッチフレーズに、SPDの連邦首相候補として連邦議会選挙に再出馬して当選。この選挙で社会民主党が議会第一党を獲得、同盟90/緑の党との連立で16年ぶりの政権交代を実現し、ドイツ連邦共和国第7代首相に就任。高級な背広に葉巻という労働者政党のトップらしからぬ装いで「ボス同志」[注 1] と揶揄される。
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首相