ケータイ小説
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ケータイ小説(ケータイしょうせつ)とは、携帯電話(特にフィーチャーフォン)を使用して執筆し閲覧される小説オンライン小説電子書籍)である。

PCを用いて執筆されることもあるが、多くは携帯電話を使用して執筆され[1]、多くのケータイ小説サイトは携帯電話以外からのアクセスも可能である[2]スマートフォンの普及で厳密にこのジャンルが「ケータイ」小説ではなく、インターネット小説の一形態でこの語をあえてほとんど使うことはないとするケータイ小説編集者もいるが掲載サイトでは独特の形態が形成され、読者にネット上を中心に使われている[3]

携帯電話からのブラウジングを明確に意識した小説を、独自に発表したという意味においてYoshiが祖であると言われる。ケータイ小説はゼロ年代に誕生した若者文化として注目され、文学社会学教育マーケティング論メディア研究など各種方面から言及された。
発生から現状までの経緯
発生以前のネット上の小説

1980年代パソコン通信が普及して以降、アマチュアの作家が自身の執筆した作品をオンライン上で公開するオンライン小説というジャンルが誕生し、一般の書き手(アマチュア作家)による投稿(発表)と読み手からの感想・批評が相互に行われた[4]。パソコン通信のブームが去った後は、ネット上の小説投稿サイトにその舞台が移った。しかし、PCサイトでのオンライン小説から、後述のケータイ小説書籍のヒットに匹敵するような爆発的なブームは起こらなかった[5]
ケータイ小説の誕生

21世紀になってから(2001年以降)は、携帯電話による通信が生活に密着したレベルで飛躍的に普及し、さらに日本では2000年代に既にインターネット接続機能(携帯電話IP接続サービス)が一般化したことによって、場所や時間を選ばずに行われる様々な世代による電子コミュニケーションが可能となった。特に日本の若年者層においては、生まれながらに高度に発達した"ケータイ環境"が存在するようになった。そのような中で、「ケータイ」で表現し「ケータイ」で読むというケータイ小説が受容されていくようになる。

当時の携帯電話のインターネットはcHTMLによる制限されたインターネットであり、PCに比べ、制約と制限が伴った。携帯から利用できるSNSやブログの登場といった、若年層を中心に広がる携帯電話コミュニティ文化の興隆、および魔法のiらんどのブック機能にみられるような入力支援機能などの実装が一助となった。

ケータイ小説の始祖ともいえるのがYoshiが個人サイト上で連載していた『Deep Love』であり、これが出版・シリーズ化されベストセラーとなった2002年から2005年頃までが「第一次ケータイ小説ブーム」とされる[6]。2003年から2004年にかけては、「ケータイ小説の女王」ともいわれるプロ作家の内藤みかによる『いじわるペニス』『ラブ・リンク』がケータイ小説として有料配信され、ヒットしている[7]
ケータイ小説のブーム

その後、第一次ブームのときとは違い[8]、無料ホームページ作成サイトの魔法のiらんど上での素人による小説投稿のブームが発生し、そこからchacoの『天使がくれたもの』を皮切りに美嘉の『恋空』やメイの『赤い糸』といった作品が人気となり、やはり書籍化されるとベストセラーとなった(魔法のiらんどへのアクセスが急増した背景には、当時パケット定額制が普及したことがあると考えられる[9])。これらのように、実話を元にしたとされる素人によるケータイ小説は「リアル系」・「実話系」・「素人系」ケータイ小説などと呼ばれ[注 1]、ケータイ小説を巡る言説では、リアル系ケータイ小説のことを単にケータイ小説と呼んでいることが多々ある[12]。また『恋空』は映画化作品もヒットした。これが2006年以降の第二次ケータイ小説ブームとされる[13]。2007年のトーハン調べの文芸書のベストセラーランキングではトップ3をケータイ小説書籍が独占し、トップ10の中にも5作品が食い込んでいる[14][15]。第一次のときはブームといってもほぼYoshiによるもので内藤などは既にデビューしていたプロ作家であり、ネット発の小説が市場で初めてブームとなり、第二次のように複数の素人による作品がブーム化してメディアで注目されのは初めてだった[16]

ケータイ小説がブームになった頃は実際に誰が愛読しているのかはっきりせず、マーケティングの文脈において「統計上は大ヒットしているが売れているという実感の伴わない商品」の例として挙げられたこともある[17]

ケータイ小説ブームのきっかけをつくった作品は『Deep Love』といえるが、この作品の当時の読者とその後ブレイクしたリアル系ケータイ小説書籍の読者層はリンクしていないと見る編集者もいる。また、『Deep Love』の作者であるYoshiは男性作家であり「ふだんあまり小説を読む習慣がない10代」を読者として想定し戦略的に執筆を行ったが、その後のリアル系ケータイ小説の作家は大半が女性であり、「書きたい、読んでもらいたい」といった純粋な動機から執筆をしており戦略的な意図をもっていないケースが多い[18]飯田一史スターツ出版へ取材したときにはYoshiのケータイ小説を読んで執筆を始めた人もおり、ケータイサイト上では重複していないが多かったが書籍の読者は一部に重複がみられたと回答されている[19]

この頃のヤンキー文化とケータイ小説は繋がっており、泉子・K・メイナードはともに本流を拒絶して反体制的な態度がよくみられ、ともに進学や出世志向ではなく、純文学のような権威ではなくサブカルチャーとしての文芸なのがケータイ小説で、上昇志向ならヤンキーではなくケータイ小説とも無縁だと指摘した[20]

ケータイ小説の流行がはじまったころは文壇からは黙殺された状態で、サブカルチャー情報誌に特集が組まれる程度であったが、ケータイ小説の書籍化作品が売り上げランキングで上位を占め無視できない存在になると、『文學界』で座談会が組まれるなど文壇からケータイ小説への言及がはじまった。そしてその後、インターネット上などで識者・インテリ層を中心にバッシングがおこった[21]

ケータイ小説に対する批判の主な内容は、短絡的・類型的なストーリー展開、語彙の少なさや文章表現の稚拙さ、投稿される際の推敲の不十分さ、安易な性的・暴力的描写などである[22]

小説家・著述家の本田透は、文学において新しいジャンルが興隆したとき、「まず黙殺し、次に否定し、そのあと制度内にそのジャンルを取り込もうとする」という、かつて漫画ライトノベルが辿ったのと同じ流れをケータイ小説はなぞりつつあるし、ケータイ小説についても「制度への取り込み」が始まる可能性を示唆した[23]小池未樹嵯峨景子は昭和初期に吉屋信子の『女の友情』を酷評した小林秀雄と通ずる点もあり、女性向けコンテンツが男性向けより下に見られている傾向があり、文学や批評が男性中心に作られたことで女性向けへの言及がされ難くく、小林のようになんとなく立腹する、自分のリテラシーでは読めない作品がヒットしたことへの苛立ち、ベストセラーになったことが我慢できず、語るのが難しいとしながらもレイプや妊娠、不治の病の詰め合わせでそれらを軽く扱っていることが一番許し難かったのではないかとみている[24][25]。飯田一史も2010年代以降のなろう系への批判と比べて強いバッシングがあったのはミソジニーによるもので年長者中心の規範とは違う価値観、流れによるものだったのに加えて当時の電子書籍市場が小さかったため、ケータイサイトで売れるとなっても紙の書籍に比べれば収益が得られない感覚から、ケータイやネット発の小説や書籍を蔑んだり敵としてみたり軽く扱ったりする空気が生まれたとみている[26]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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