ケン・グリフィー・ジュニア
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ケン・グリフィー・ジュニア
Ken Griffey Jr.
シアトル・マリナーズでの現役時代
(2009年6月10日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地ペンシルベニア州ドノラ
生年月日 (1969-11-21) 1969年11月21日(54歳)
身長
体重6' 2" =約188 cm
230 lb =約104.3 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション外野手指名打者
プロ入り1987年 MLBドラフト1巡目(全体1位)
初出場1989年4月3日
最終出場2010年5月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


モーラー高等学校

シアトル・マリナーズ (1989 - 1999)

シンシナティ・レッズ (2000 - 2008)

シカゴ・ホワイトソックス (2008)

シアトル・マリナーズ (2009 - 2010)

国際大会
代表チームアメリカ合衆国
WBC2006年
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2016年
得票率99.3%
選出方法全米野球記者協会選出
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ケン・グリフィー・ジュニア(英語: Ken Griffey Jr., 本名:ジョージ・ケネス・グリフィー・ジュニア(George Kenneth Griffey Jr., 1969年11月21日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ドノラ出身の元プロ野球選手外野手指名打者)。愛称は"ジュニア"("Junior")、"ザ・キッド"("The Kid")。

2011年にコミッショナー特別表彰を受け、2016年には史上最高の得票率(当時)でアメリカ野球殿堂入りを果たした。
経歴
プロ入り前

ペンシルベニア州ドノラに生まれ、シンシナティで育った。タフィ・ローズとは幼馴染で、いつも一緒に野球をプレーし、家族ぐるみの付き合いでもあったという[1]。父ケン・グリフィー・シニアの打撃成績を毎日チェックし、ラジオ中継を聴いていた。リトルリーグではアウトになることがほとんどなく、アウトになると悔し涙を流すほどだった[2]

モーラー高校に進学し、野球アメリカンフットボールをプレイ。特に才能を発揮したのは野球の方で、2年連続で所属リーグのプレイヤー・オブ・ザ・イヤーに輝いている。
プロ入りとマリナーズ時代

1987年MLBドラフト1巡目(全体1位)でシアトル・マリナーズから指名を受け入団。父のシニアは当時現役で、2世選手に対する風当たりは強く、人種差別を受けたため自殺を図ったこともあった[3]。ショートシーズンA級で54試合に出場して打率.313、14本塁打、40打点、13盗塁を記録。

1988年にはアドバンスドA級に昇格、58試合に出場して打率.338、11本塁打、42打点、32盗塁の好成績を残し、シーズン終盤にAA級に昇格した。

1989年スプリングトレーニングでは打率.359、2本塁打を記録し、33安打、21打点、15試合連続安打は球団のスプリングトレーニング新記録となるなど[4]活躍、開幕メジャー入りを果たした[4]。4月3日のオークランド・アスレチックス戦で、19歳4ヶ月の若さでメジャーデビュー。初打席で二塁打を記録し、4月23日から26日にかけて球団タイ記録となる5試合連続複数安打を記録した[4]。7月23日時点でメジャー新人選手3冠となる打率.287、13本塁打、45打点を記録していたが、7月25日から8月20日にかけて小指の負傷により故障者リスト入りし[2][4]、復帰後は調子を落とした[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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