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出典検索?: "ケン・ウィルバー"
ケネス・アール・ウィルバー・ジュニア(Kenneth Earl "Ken" Wilber Junior, 1949年1月31日 - )は、現代アメリカのニューエイジの思想家、トランスパーソナル心理学の論客、哲学者。アメリカ合衆国、オクラホマ州生まれ。心理学の範疇を超えたアメリカを代表する哲学者で[1]、インテグラル思想の提唱者である。東洋の思想と修行の影響を大きく受けており、東洋の宗教的な知見、霊的発達の思想と現代心理学を総合的に統合するという巨大な試みを成し、「フロイトとブッダを結合させた」というキャッチフレーズで知られている[2][3]。
23歳の時に、トランスパーソナル心理学方面の様々なセラピーや古今東西の宗教思想とを鳥瞰図的に組み合わせ、わかりやすくまとめた第1作『意識のスペクトル』を公刊してベストセラーとなり、一躍時代の寵児となった[1]。トランスパーソナル心理学の代表的論客として、その発展に大きく貢献し、最も影響力を持っており、その評価は賛否両論であった[4]。世界の伝統宗教にみられる、高次の微細なエネルギーに対応する身体性である微細身の概念を前提とし、エネルギーが階層をなし多次元の場を造り出しているという普遍的な霊的伝統「永遠の哲学」に連なる思想家であり、ヒンドゥー教のヴェーダーンタや仏教といった「永遠の哲学」が提示するものが正しいという前提に立って思想が展開されている[5]。『アートマン・プロジェクト』では、人間の心の発達は、ウパニシャッドの「梵我一如」の「我(アートマン)」であるところの真の自己を希求して進んでいく運動であると説き、その心理的な発達、意識の evolution(進化、外展)の過程を示した[6]。ウィルバーは、自己意識が生じる前段階、自我意識が生じるパーソナルな意識、自我領域を超えてアイデンティティが拡張するトランスパーソナルな意識へ至る発達過程としてモデル化し、さらにトランスパーソナルな意識を3段階に分けて説明している[4]。
1990年代中期以降、トランスパーソナル思想からの決別を宣言し、これを構成要素として統合するより包括的な理論として、「すべては正しいが、部分的である」を原理とするインテグラル思想を提唱し、自身の心理学アプローチを「統合的」と好んで説明している[7][4]。
代表作は『進化の構造』(Sex, ecology, spirituality / Shambhala, 1995)、 『宗教と科学の統合』(The marriage of sense and soul / Random House, 1998)、『万物の歴史』(A Brief history of Everything / Shambhala, 1996)など。 20以上にも及ぶ著作は世界中の言語に翻訳され、専門家・一般読者の双方に幅広く読まれている。
インテグラル思想の研究組織であるIntegral Instituteを主催し、2005年には総合大学であるIntegral Universityを発足、現在同大学のPresidentとして運営の中核を担っている。
彼のインテグラル思想は、コーチングにおいて一つの流派になっている。また、コンサルタントのフレデリック・ラルーは、インテグラル理論における「意識のスペクトラム」を元に、組織のフェーズを5段階に分けてとらえ、進化形の組織モデル「ティール組織」を提唱した[8]。 ケン・ウィルバーは、1949年1月31日、アメリカ合衆国のオクラホマ州に生まれた。合衆国空軍に在籍していた父親の頻繁な配置転換にともない、幼児期は国内を転々とした(転居先には、バミューダ・エルパソ・テキサス・アイダホ・グレイトフォールズ・モンタナが含まれる)。ウィルバーは、当時を回想して、頻繁な転居が苦痛であったこと、そして、そうした経験のなかで物事に執着しない態度を習得したことを述懐している。いずれにしても、この時期からウィルバーは、勉強において非常に優秀な成績をおさめ、数々の賞を受賞していた。また、当時から非常に社交的な性格で、運動や自治活動等、課外活動にも積極的に取り組んでいたという。 高校生活をネブラスカ州のリンカーンで修了後、1968年にウィルバーはデューク大学の医学部に進学する。しかし、ウィルバーは、進学後すぐに、老子の道徳経の「道(みち)の道とすべきは、常(つね)の道に非(あら)ず。
略歴