ケルンテン州(ケルンテンしゅう、独: Karnten [?k??ntn?] ( 音声ファイル))は、オーストリア共和国を構成する9つの連邦州のひとつ。州都はクラーゲンフルト・アム・ヴェルターゼー。 ドイツ語の Karnten はケルト語に由来すると考えられており、二つの説がある。一つは「友人」や「親類」を意味する carant で、これは青銅器時代のイリュリア人を指しているとする。もう一つは「石」や「岩」を意味する karanto で、こちらが正しければカルンブルク
名称
スロベニア語では Koro?ka ([k???o??ka] ( 音声ファイル) コロシュカ)と呼ばれる。古スロベニア語では Korotan と呼ばれていた。これはカランタニアと関連があると考えられている。
日本語での表記は、「ケルンテン」。まれに英語の Carinthia から「カリンシア」や「カリンティア」と表記されることもある。
地勢ケルンテン州最大の湖、ヴェルター湖からマリーア・ヴェルトの町並みを望む
オーストリアで最も南に位置する州で、南はイタリアとスロベニアの2カ国と国境を接する。州の西ではチロル州、北でザルツブルク州、北東でシュタイアーマルク州と接している。チロル州との州境にそびえるグロースグロックナー山はオーストリア最高峰の山で、標高は3797メートルである。州面積の半分以上が1000メートル以上に位置しており、これらの地域にはほとんど人は住んでいない。
州内をドラオ川が流れるほか、多くの湖があり、その風光明媚な景観は多くの観光客を集めている。代表的な都市としては、州都であるクラーゲンフルト、フィラッハなどが挙げられる。面積は9,536平方キロメートル、人口密度は59人/平方キロメートル。 考古学的調査によれば、この地に人類が住み始めたのは旧石器時代にまでさかのぼる。古代にはノリクムと呼ばれる地域の一部で、ケルト人によるノリクム王国
歴史
西ローマ帝国が衰退するとこの地はゲルマン人やスラヴ人などが進出し、7世紀にスラヴ人によるカランタニア公国が成立した。カランタニア公国は745年に独立を失い、フランク王国の支配に――直接的にはバイエルン大公の支配に――服するようになった。10世紀にケルンテン公国がバイエルン公国から分離され、神聖ローマ帝国の領邦の一つとなった。クラーゲンフルト近くのツォルフェルトに遺る「ケルンテン公の玉座」
1335年にケルンテン公ハインリヒ6世が嗣子なくして死去すると、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世は後継者にオーストリア公アルブレヒト2世を指名し、以後ケルンテン公国はハプスブルク家領となった。1806年に神聖ローマ帝国が消滅したのちはオーストリア帝国の、次いでオーストリア=ハンガリー帝国の統治下に置かれた。
第一次世界大戦で敗戦国となったオーストリア=ハンガリー帝国は民族自決に基づいて解体されることになり、ケルンテンでも1920年10月10日に帰属を問う住民投票が行なわれた。この結果ケルンテンは北部は第一共和政のオーストリアのケルンテン州に、南部のいくつかの自治体はセルブ=クロアート=スロヴェーヌ王国(のちのユーゴスラビア王国)のコロシュカ地方(現在はスロベニア領)となった。
1938年にナチス・ドイツはオーストリアと合邦した(アンシュルス)。ナチス支配の下では標識からスロベニア語が消え、さらにスロベニア系住民の強制移住も計画された。
ドイツが第二次世界大戦に敗れるとケルンテン帝国大管区はイギリスの占領下に置かれたが、1955年にオーストリアは連合国との間にオーストリア国家条約を調印して独立を回復した。 農業、林業が中心。豊富な水量を背景に水力発電が行われており、クラーゲンフルトなどの都市部では製紙産業のほか、金属、化学工業などもみられる。 ケルンテン州の2013年1月1日現在の人口は、推計55万5473人である。このうち、フィラッハやクラーゲンフルトがある州中央部のクラーゲンフルト盆地に住む人の割合が最も高い。 周囲を山岳地帯に囲まれ、地域としての一体性が強かったこともあり、オーストリアではどの州でもみられることであるが、ケルンテンとしての地域意識がとりわけ強い。 住民のうち9割以上がドイツ語を話すが、南部にはスロベニア語を母語とする人々もいる。彼らは少数民族とみなされているが、その権利については議論もある。 ケルンテンにおける宗教ごとの信徒の割合は表の通り。カトリック教会が最も多く、人口の77.2%を占める。第2位の福音主義教会(大半はオーストリア福音主義教会アウクスブルク信仰告白派に属している)はおよそ1割であるが、これはオーストリアではブルゲンラント州に次ぐ高率である。 ケルンテン州の守護聖人は聖ヨセフと聖ヘンマの2人である。2001年の国勢調査による、各自治体のスロベニア語話者の割合: ?? 5-10% ?? 10-20% ?? 20-30% ?? 30%以上 人口動静調査年月日人口 宗教分布宗教ケルンテンオーストリア ケルンテン州の州議会(Landtag)は一院制で、定数は36議席、任期は5年である。18歳以上でケルンテン州在住のオーストリア市民が投票権を持つ。直近の選挙は2013年に行われ、オーストリア社会民主党(SPO)が37.13%の得票で14議席、オーストリア自由党(FPO)系のケルンテン自由党
産業
住民
1900年12月31日367,324
1923年3月7日370,432
1939年5月17日460,946
1951年6月1日474,764
1961年3月21日495,226
1971年5月12日525,728
1981年5月12日536,179
1991年5月15日552,421
2001年5月15日559,404
カトリック77.2 %73.7 %
福音主義10.3 %4.7 %
イスラム教2.0 %4.2 %
正教会0.8 %2.2 %
無回答7.9 %12.0 %
政治ケルンテン州議会議事堂(クラーゲンフルト)ケルンテン州庁舎(クラーゲンフルト)
州首相(Landeshauptmann)は州議会によって選出され、州政府の閣僚は議席数に応じて各会派に配分される。現在の首相は、2013年の議会選挙後に就任したペーター・カイザー(SPO所属)である。
州首相一覧第一共和政の初代州首相を務めたアルトゥール・レミッシュの銘板(ザンクト・ファイト)ペーター・カイザー首相(2011年)
第一共和政での州首相と在任期間は次の通り。
アルトゥール・レミッシュ (SDAPO、1918年11月11日 - 1921年7月22日)
フローリアン・グレーガー (SDAPO、1921年7月22日 - 1923年11月6日)
ヴィンツェンツ・シューミー (LB、1923年11月6日 - 1927年6月15日)
アルトゥール・レミッシュ (無所属、1927年6月15日 - 1931年1月21日)