ケルマーンシャー州
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ケルマーン州」とは異なります。

ケルマーンシャー州
????? ????????
位置

統計
州都:
 • 測地系:ケルマーンシャー
 • .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度19分03秒 東経47度05分13秒 / 北緯34.3176度 東経47.0869度 / 34.3176; 47.0869
面積:24,998 km²
人口(2016年)
 • 人口密度:1,952,434人
 • 78.1人/km²
シャフレスターン数13
タイムゾーン:UTC+3:30
主な言語:クルド語
ペルシア語
ラキー
ISO 3166-2:IR:IR-17
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ケルマーンシャー州(ケルマーンシャーしゅう、ペルシア語: ????? ????????‎, ラテン文字転写: Ost?n-e Kerm?nsh?h)は、イラン・イスラム共和国州(オスターン)のひとつ。同国の西部に位置し、イラクと国境を接する。1979年以降1990年代までバーフタラーンという名称であった。

州都ケルマーンシャーは人口約69万、北緯34度18分東経47度4分、西部イランの緯度的にほぼ中央部に位置する。有名なクーヘ・セフィード(山)の山腹にあり海抜1420m、サラーブ河谷にそって10kmにわたって広がる。

テヘランからの距離は陸路525km。穀物野菜果物、脂肪種子を産する豊かな農業地帯である。石油、砂糖精製、セメント、繊維、穀物加工などの産業もある。空港は都市の北東にあり、空路テヘランから413kmである。
歴史ターゲ・ボスターンのレリーフ。中央に立つのはアルダーシール3世。左にアフラ・マズダー、右にアナーヒターが彫られている。

発掘により、旧石器時代以来、この地域に人が住んでいたことが明かになっている。ケルマーンシャー州には多くの遺跡がある。特にハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)、サーサーン朝期に栄え、支配者によって特段の配慮がはらわれた。

ケルマーンシャーは古代からのイラン都市で、伝説の王朝ピーシュダード朝のタフモレス・ディーヴバンドの建設した街だという。本格的な建設は4世紀、サーサーン朝バハラーム4世ともする。ホルミズド4世ホスロー1世治下、ケルマーンシャーは副都としての繁栄は頂点に達した。

アラブの侵攻では大きな被害を受けた。のちにサファヴィー朝下でも繁栄し、アフガーン族の侵入にともなう首都エスファハーンの混乱、衰退と同時期に、ケルマーンシャーはオスマン朝の侵攻を受け、破壊された。

1978年、イラン革命が成功。州内のクルド人自治権獲得を目指して革命勢力を指示してきたが、新政府はクルド人への弾圧を始めた。1979年8月、クルド人は州内の都市パベなどを占拠する反乱を起こしたが、同月中にイラン政府軍や革命防衛隊により鎮圧された[1]

イラン・イラク戦争ではケルマーンシャー州は激戦地となり、多くの都市、村が被害を受け、サルポレ・ザハーブやガスレ・シーリーンは実際に破壊された。
気候

ケルマーンシャー州は寒冷地域と温暖地域の中間にあって、山岳性ではあるが気候は穏やかである。夏は暖かいという程度で、もっとも暑いときで平均気温は22度。降水は冬に集中し、年間総雨量は500mmである。

ケルマーンシャーの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)6.5
(43.7)8.9
(48)14.3
(57.7)19.7
(67.5)25.8
(78.4)33.3
(91.9)37.8
(100)37.0
(98.6)32.5
(90.5)25.0
(77)16.7
(62.1)9.7
(49.5)22.27
(72.08)
平均最低気温 °C (°F)?4.3
(24.3)?3.0
(26.6)1.2
(34.2)5.1
(41.2)8.2
(46.8)11.4
(52.5)16.1
(61)15.4
(59.7)10.6
(51.1)6.4
(43.5)1.8
(35.2)1.7
(35.1)5.88
(42.6)
降水量 mm (inch)67.1
(2.642)62.9
(2.476)88.9
(3.5)69.9
(2.752)33.7
(1.327)0.5
(0.02)0.3
(0.012)0.3
(0.012)1.3
(0.051)29.2
(1.15)54.3
(2.138)70.3
(2.768)478.7
(18.846)
平均降水日数9.49.110.48.75.60.20.10.20.33.66.08.161.7
平均月間日照時間133.3152.5179.8204.0266.6348.0350.3337.9306.0241.8189.0148.82,858
出典:Hong Kong Observatory[2]

言語と人びと

州内で多く話される言語はクルド語ペルシア語ロル語であり、アラビア語トルコ語を話す人びともいる。このうちペルシア語がもっとも用いられる。定住民のほか州域全体に遊牧民もいる。イラク国境に近い山岳地帯にはクルド人が多く住む。
有名人

ケルマーンシャー生まれの有名人に英国人の作家ドリス・レッシング1919年生)がいる。父は英国将校でこの時期ケルマーンシャーに駐屯していた。
特産物

ケルマーンシャー絨毯と呼ばれるペルシア絨毯が有名。ほかに米で作る菓子がある。
名所・旧跡

ダーラヤワウ大王(ダレイオス1世)の碑(ビーストゥーン、紀元前6世紀)。標高1300mの山中にあって、近東考古学の遺跡でもっとも有名なもののひとつで、はるかな昔から注目されてきた。ハカーマニシュ朝ダーラヤワウ大王の銘は、古代ペルシア語エラム語アッカド語で彫られている。サー・ヘンリー・ロウリンソンはこの拓本をとり、19世紀半ばの楔形文字の解読に大きく貢献した。銘の上部には、反抗した9人の王たちに向き合うダーラヤワウが彫られている。丘の麓には最古期と思われるアルサケス朝期のレリーフが3つあるが、時の経過と土地寄進の影響で、ひどく損傷を受けている。サファヴィー朝シャー・ソレイマーンの宰相シェイフ・アリー・ハーン・ザンギャネの銘がある。

ターゲ・ボスターン。サーサーン朝のレリーフ。サーサーン朝はケルマーンシャーの北東約6km、山崖から聖なる泉が噴出し大きな反響とともに滝をなす、この場をレリーフの場に選んだ。冬には全面霧と雲に覆われる。中でももっとも印象的なのは、もっとも大きいイーワーン(岩窟)に彫られた巨大な騎乗像である。これはホスロー2世(591-628)で、愛馬シャーブディーズに跨っている。騎馬、騎手ともに重装甲である。このイーワーンの反対側には狩りの場面を彫り込んだレリーフがある。一つは帝室の猪狩りの図で、もう一つも同様に鹿に近づく皇帝の姿を描いている。さらに、湖からイノシシをおいたて、皇帝が弓矢をもって待ちかまえる図があり、王のあとには楽を奏でる女性伶人の小舟が続いている。これらの狩りのレリーフは全体でももっとも鮮明なものである。1300年後、レリーフの上部に、謁見を行う19世紀ガージャール朝ファトフ・アリー・シャーが刻まれている。


アナヒータ神殿(紀元前200年、在キャンギャーヴァル)。キャンギャーヴァルは、ケルマーンシャーの東90km、ハマダーンとの中間にある小さな街であるが、古代遺跡が多くセレウコス朝がこの地に入った紀元前200年ころには、アフラ・マズダーミトラスとともに侵攻されたアナヒータ女神の聖域となっている。この広大な神殿は、ペルセポリスアパダーナの影響を受けたと思われる相対する階段配置をもち、飾り石の巨大なブロックで構築されている。

脚注[脚注の使い方]^ クルド族反乱で緊迫 全軍に出動命令 占拠のパペ市『朝日新聞』1979年(昭和54年)8月19日朝刊 13版 7面


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