ケルソネソス
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ボスポロス王国の位置と黒海沿岸のギリシア植民市ケルソネソスの遺構

ケルソネソス(古代ギリシア語: Χερσ?νησο?, ラテン語: Chersonesus, ロシア語,ウクライナ語,クリミア・タタール語: Херсоне?с)は、黒海北岸のクリミア半島の南端にあった古代ギリシア植民市。現在のウクライナセヴァストポリあたりにあった。東ローマ帝国時代にはケルソン(Χερσ?ν 中世ギリシア語ではヘルソン)と呼ばれた。なお、現在のウクライナの都市ヘルソンはケルソネソスよりもかなり北のドニエプル川河口近くの右岸にあるが、その地名はかつてのケルソネソスにちなんでつけられている。
概要

古代ギリシャの植民市として建設され、ボスポロス王国などの支配を経て東ローマ帝国領となった。

古代ギリシャローマの都市が古代末期の戦乱や疫病などで衰退・荒廃し、都市の市民による自治も崩壊していく中、ケルソンは北方から買い付けた物資(毛皮)を東ローマの首都コンスタンティノープルへ販売する商業都市として栄え、比較的遅い9世紀前半まで他の東ローマ帝国の都市よりも高度な自治を享受していた。一方で、遠隔地ということで流刑地ともなっており、教義をめぐって皇帝コンスタンス2世と対立して逮捕されたローマ教皇マルティヌス1世や失脚した皇帝ユスティニアノス2世などが配流されている。1025年の東ローマ帝国

9世紀の東ローマ皇帝テオフィロスの頃にテマ(軍管区)ケルソンが置かれて、コンスタンティノープルから派遣されるテマ長官(ストラテーゴス)の支配を受けるようになったために古代以来の自治制度は縮小したが、引き続きハザールキエフ・ルーシなどとの交易拠点であった。

東ローマ帝国は12世紀コムネノス王朝時代までケルソンを維持していたが、12世紀末から13世紀初頭の東ローマ帝国の衰退と第四回十字軍による帝国の一時滅亡の時期にその支配は失われた。
参考文献

井上浩一『ビザンツ帝国』岩波書店〈世界歴史叢書〉、1982年 (絶版)

尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』東海大学出版会、1999年、ISBN 978-4-486-01431-7*

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ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域

クレメンス1世 (ローマ教皇)










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