ケラマジカ
分類
ケラマジカ(慶良間鹿、学名:Cervus nippon keramae)は、鯨偶蹄目・シカ科に分類されるニホンジカの亜種。日本の沖縄県慶良間諸島に分布する固有亜種とされるが、実際は九州からの国内外来(亜)種と考えられている。 慶良間諸島(沖縄県島尻郡)の阿嘉島・外地島・慶留間島および屋嘉比島の4島(いずれも座間味村)に分布する(屋嘉比島は無人島)[1]。ほかに、座間味島・渡嘉敷島でも観察例がある。 日本国内で最南限に棲息する野生ジカであり、日本で唯一の亜熱帯性の有蹄動物でもある。亜熱帯島嶼型の生態を知る上でも、学術的な価値が高い。また、クジラ類を除けば、慶良間諸島に分布する唯一の大型哺乳類である。 なお、ケラマジカは“島渡り”、すなわち泳いで慶良間諸島の各島間を移動することが知られており、実際に泳いでいる姿が目撃されたり、時には泳ぎ疲れて漁船に助けられたりすることもあるという。島渡りは主に繁殖期に行われる。 また、現在、阿嘉島・慶留間島・外地島の3島は、阿嘉大橋などの道路橋でつながっており、ケラマジカもその橋を渡って各島間を行き来していることが知られている。 日本国内に分布するニホンジカの7つの地域亜種の中でも最も小柄で、雄の成獣で通常30キログラム程度。毛の色も本土系のシカより多少暗色を帯び、雌や子ジカの背中には黒い筋がある。 頭骨および角は、本土系のシカと比べて著しく小さい。頭蓋最大長を比較すると、雄でホンシュウジカの82%、雌で89%程度(沖縄県教育委員会, 1996)。角は雄ジカだけに生え、毎年3月末から4月にかけて抜け落ちる。角の内側には、顕著なこぶ状突起が見られる。 本来は夜行性で、夜には集落まで降りてくることもあったが、警戒心が強く、人には近づかなかった。しかし近年、阿嘉島などでは日中も頻繁に浜などに下りてきて、人前に現れるようになっている。人がかなりの距離まで近づいても逃げない個体も見られ、新たな観光資源となっている。 生息する島々は、いずれも海岸が断崖になっているところが多く、繁殖期におけるオス同士の闘争などによって転落死する個体も確認されている[2]。 ケラマジカについて言及している最も古い文献は、首里王府編の『琉球国由来記 巻四』(1713年)である[3]。これによれば、崇禎年間(1628-44年)、尚氏金武王子朝貞が、薩摩(鹿児島県)からシカを持ち帰り、慶良間の古場島(現在の久場島とされる)に放したという(原文「是崇禎年間尚氏金武王子朝貞従薩州帯来、慶良間島ノ中、古場島ニ放飼也」)。「琉球国由来記」には移入の目的は記されていないが、1875年に慶良間を視察した河原田成美の記録から、王府時代に慶良間から藩王にケラマジカを献上していたことが知られる[4]。ケラマジカは、このときに移入されたシカ(キュウシュウシカ、あるいはマゲシカかヤクシカ)が野生化して定着し、慶良間諸島という島嶼の環境に適応して特異化(島嶼化)したものと見られ、このことはその後の遺伝学的調査によっても裏付けられている[5]。 ケラマジカは、害獣・国内外来種としての側面と、絶滅危惧種・固有種としての側面とを併せ持つ。 ケラマジカには農林資源への食害があり、自然林の稚樹等への影響も懸念されている。戦前までは慶良間諸島の多くの島に数多く棲息していたが、農作物への食害が目立ったために捕殺され、一時は有人島では絶滅したが、その後、保護に転じた。現在もその食害により、現地の農家には疎まれる側面がある。 一方で、日本国指定の天然記念物(「ケラマジカおよびその生息地」)にも指定されている。ケラマジカは個体数が少なく分布域も狭いために、絶滅を心配する声もある。日本哺乳類学会のレッドリスト(1997年)では「危急亜種」に選定されていたこともあるが、環境省及び沖縄県のレッドリストには記載がない。現在は、県や地元の小・中学校によっても、保護・研究活動が行われている。 ケラマジカは個体数が少なく、分布域がごく狭いため、旱魃や山火事などの偶発的な災禍によって、急激に減少する可能性がある。島面積が小さい上に急峻な地形を呈していることから、河川がなく、旱魃時の飲用水不足が憂慮される。
分布
形態
生態
歴史
保護の取り組み
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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