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やノートページでの議論にご協力ください。ケラ&ザ・シンセサイザーズ
出身地 日本
ジャンルテクノポップ/ニュー・ウェイヴ/ロック
活動期間1995年 - 現在
レーベルナゴムレコード
メンバーケラ(ボーカル)
杉山圭一(キーボード)
RIU(ベース)
Reiko(ドラム)
旧メンバー三浦俊一(ギター)
チャコ(ドラム)
松田FIRE卓己(ベース)
三宅弘城(キーボード)
福間創(キーボード)
大坂結城(トランペット)他
1995年、LONG VACATIONの活動休止後、元有頂天のケラと三浦俊一を中心に「80年代ニュー・ウェイヴの復権」を掲げ、結成。当初は「ザ・シンセサイザーズ」名義でアルバムも発売したが、2003年よりケラのバンドとわかりやすくするため「ケラ&ザ・シンセサイザーズ」名義となる。 1995年 活動開始当時は正式なバンド名が決まっておらず、「ポメラニアンズ」や「ジ・アフガンハウンズ」といった犬の種類の名前のバンド名でシークレットライブを行っていた。当時のメンバーはVo.ケラ、G.三浦俊一、Dr.チャコ、Key.三宅弘城、B.松田FIRE卓己、Tp.大坂結城。キーボードの三宅はナイロン100℃の役者で、キーボードはほとんど弾けずにライブ中バク宙をしていた。大坂はLONG VACATIONのサポートとしても参加していた事があり、松田FIRE卓己は以前三浦とレディオ・クリスマスというバンドをやっていた。 1996年 3月にナイロン100℃の「アリス・イン・アンダーグラウンド」にバンドとして出演。この公演の映像はリリースはされていないが、スカパー!のシアターテレビジョンで放送された。その後同じく3月にShibuya eggmanにてバンドとして初の公式ライブ。ライブ中に三宅命名によるザ・シンセサイザーズというバンド名がはじめて発表される。6月のShibuya O-EASTのライブを最後に、三宅と大坂は脱退。12月のライブからはキーボードにモノグラムの中井敏文がサポートとして参加する。 1997年 3月にShibuya O-WESTにて「ヒストリー・オブ・ジャパニーズ・ニューウェイヴ#1」と題したライブを行った。2部構成で1部はP-MODEL、ヒカシュー、PLASTICS、LIZARD、突然ダンボールといったバンドのカバー。2部が通常のライブ。 1998年 4月にバンド名を冠した1stアルバムをロードランナー・ジャパンより発売。発売記念で東名阪でのライブも行った。このツアーにてベースの松田FIRE卓己が脱退。以降のライブはサポート参加との報もあったが、その後のアルバムのレコーディングにも参加しており正確な脱退時期は不明。ちなみにこのアルバムに収録楽曲「1980」は当アルバムがリリースされるまでは歌詞ができておらず、P-MODEL楽曲「HEAVEN」の歌詞で歌われていた。 1999年 この年はDRIVE TO 2000やナイロン100℃の前座といったイベント参加のライブのみ。ベースは中村ムー哲夫がサポートで参加したりもしていた。 2000年 7月のライブでははじめてヤング100Vの杉山圭一がキーボードとして参加。この時はまだ中井敏文もサポートとして参加していたが、12月のワンマンライブからは中井は参加せず、キーボードは杉山のみとなった。 2002年 同年はザ・シンセサイザーズUNIT2名義でのライブのみ開催された。この日はトラック制作は関わったようであるが、三浦が参加しなかった唯一のライブであり、ケラ、杉山、松田FIRE卓己の3名でのライブであった。 2004年 3月には三浦が参加した形としては約3年ぶりのライブを2DAYSで行った。この時サポートはベースとしてfarmstayのアサウチが参加。10月のライブより、バンド名がザ・シンセサイザーズ?ケラ&ザ・シンセサイザーズに変わった。この時のライブは腰痛のためドラムのチャコが欠席。かわりに三浦のバンドSONIC SKYのドラマーでもある鈴木友行が参加。ベースはアサウチに加え、松田FIRE卓己も久々に参加。 2005年 3月に2ndアルバム「ナイト・サーフ」を発売。リリースは8年ぶりで、ケラ&ザ・シンセサイザーズ名義では初。同月クアトロにて発売記念のワンマンライブを行う。アルバムではチャコや松田FIRE卓己が参加しているものの、他バンドの活動もあり、以降のライブではメンバーが安定しない時期が続く。アルバムではアサウチはギターで参加。9月に行ったライブはケラ&ザ・シンセサイザーズUnit3名義でのライブで、メンバーはドラムが鈴木友行、ベースが内田雄一郎。
略歴