ケネディ宇宙センター第39発射施設上空から見た第39発射施設
(手前:ビークル組立棟 (VAB)、左奥:39B発射台、右奥:39A発射台)
基地名ケネディ宇宙センター
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯28度36分30.2秒 西経80度36分15.6秒 / 北緯28.608389度 西経80.604333度 / 28.608389; -80.604333
ケネディ宇宙センター第39発射施設(ケネディうちゅうセンターだい39はっしゃしせつ、英語: Launch Complex 39、略称: LC-39)は、アメリカ合衆国フロリダ州メリット島にあるケネディ宇宙センター内のロケット発射場である。発射場および施設群は元々アポロ計画のために建設され、後にスペースシャトル計画のために改修された。2023年現在、39A発射台 (LC-39A) が、スペースX社のファルコン9とファルコンヘビーの打ち上げに、39B発射台 (LC-39B) がNASAのスペース・ローンチ・システム (SLS) の打ち上げに使用されている。新しく、小さな39C発射台 (LC-39C) は2015年に完成し、小規模な打ち上げに対応するが、まだ使用されていない。
LC-39は、39A、39B、39Cの3基の発射台、およびビークル組立棟 (VAB)、VABと発射台との間でクローラー・トランスポーターが移動式発射プラットフォーム(英語版)を輸送するために敷かれた運搬路であるクローラーウェイ(英語版)、オービタ整備施設 (OPF)、制御室 (the firing rooms) が入る打ち上げ管制センター、テレビ中継や写真撮影で象徴的に映されるカウントダウン時計で有名な報道関係者向け施設(英語版)に加え、さまざまな補給拠点や運用支援施設から構成されている[1]。
スペースX社は39A発射台をNASAからリースして改修を施し、2017年以降のファルコン9の打ち上げに対応している[2][3][4]。NASAはコンステレーション計画のために2007年から39B発射台の改修を開始していたが、2010年に同計画が中止となったため、現在は2019年12月に最初の打ち上げが予定されている[5]スペース・ローンチ・システム (SLS) での運用に向けて準備中である[6][7]。C発射台は元々アポロ計画のために建設する計画が挙がっていたが、実現することはなく、(もし建設されていたとしても)39Aと39Bの発射台の複製になっていたであろうとされる。その後、軽量級のロケットの打ち上げに対応できる、より小さな発射台となる39C発射台が2015年1月から6月までの期間に建設された[8]。
NASAによるLC-39AおよびLC-39Bからの打ち上げは、発射台から約3マイル (4.8 km)離れた場所に位置する打ち上げ管制センター (LCC) から管制が行われてきた。LC-39は、東部射場 (Eastern Range) のレーダー管制および追尾業務を共に担う、数ある発射場のうちの一つである。 現在の第39発射施設周辺一帯の用地開発は、1890年に少数のハーバード大学出身の資産家が1エーカーあたり1ドルの地価で18,000エーカー (73 km2)の土地を購入したことに始まる。資産家たちは、後に第39A発射台が設置されることになる辺りに、クラブ会員向けに20室を備えた3階建ての木造(マホガニー製)のクラブハウスを建設した。施設内には、広い食堂、ワイン貯蔵庫、トロフィールーム、そして大量の武器や弾薬の保管庫も備え付けられていた。また、クラブハウスの上から眺める、大西洋と周囲の湿地に群がる野生生物の風景は壮観であった。1920年代に入ると、当時、水道・歩道・街灯・庭園などを完備した保養都市開発計画が推し進められていたこの土地の買い手を誘致しようと、自動車会社スチュードベーカー社の創業者の息子であったP. E. スチュードベーカーによって、カナベラル灯台の北13kmにあるデ・ソト・ビーチに小さなカジノが建てられた。発射施設が建設される以前は、用地の東側を州道A1A号線
歴史
前史
1948年に、アメリカ海軍はケープ・カナベラルの南に位置したバナナリバー航空基地を、ドイツから接収したV2ロケットを試験するために、空軍へと移譲した[9]。人口密集地から離れた海上へ向けて打ち上げを実行できるという目的のためには、フロリダ東海岸に面するこの基地の立地は理想的なものであった。1949年に当地は統合長射程試験基地となり、翌1950年にはパトリック空軍基地(英語版)と改称した。1951年、空軍はケープカナベラルの一部を北側に建て増して、空軍ミサイル試験センターとした。これが後にケープカナベラル空軍基地 (CCAFS) となる。1950年代の間は、ミサイルおよびロケットの試験と開発は当地で実施された[10]。
NASAによる運用