この項目では、実業家・UFO研究者について説明しています。プログラマについては「ケン・アーノルド」をご覧ください。
ケネス・アーノルド
Kenneth Arnold
生誕 (1915-03-29) 1915年3月29日
アメリカ合衆国 ミネソタ州セベッカ
ケネス・アルバート・アーノルド(Kenneth Albert Arnold、1915年3月29日 - 1984年1月16日)は、アメリカ合衆国の実業家である。
1947年6月24日に未確認飛行物体(UFO)が飛んでいるのを目撃したケネス・アーノルド事件で知られている[1]。UFO目撃以降、同様のUFOの報告の調査や、UFOに関する執筆・公演を行うようになった。
1962年にはアイダホ州副知事選挙に共和党から立候補したが、落選した。 アーノルドは1915年3月29日にミネソタ州セベッカ
生涯
1938年に自動消火装置製造メーカーのレッド・コメットの社員になり、翌年に地域マネージャーまで昇進した。1940年に会社を辞めて、アイダホ州ボイシで消火システム(英語版)の販売・設置を行う会社、グレート・ウェスタン・ファイヤ・コントロール・サプライを立ち上げ、アメリカ北西部で商売を始めた[5]。
1941年にドリス・ロー(Doris Lowe)と結婚し、4人の娘をもうけた[2]。
未確認飛行物体
1947年のUFO目撃詳細は「ケネス・アーノルド事件」を参照
アーノルドは、1947年6月24日にワシントン州のレーニア山付近を自家用飛行機で飛行中、9つの光る未確認飛行物体(UFO)が最低でも時速1200マイル(時速約2000キロメートル)と推定される速度で飛行するのを目撃したと主張した。これは、第二次世界大戦後、全米で報道された最初のUFOの目撃談であり、現代におけるUFO目撃(英語版)の最初のものであるとされている。その後2?3週間にわたって、同様のUFO目撃報告が相次いだ。アーノルドがその物体が飛行する様子を「ソーサー(saucer)が水面を跳ねながら飛ぶようだった」と説明したことから、マスコミが「空飛ぶ円盤」(flying saucer, flying disc)と報じ、この物体を指す言葉として一般大衆に広まった。
UFO目撃を報告したことで、アーノルドは一夜にして有名人になった。アーノルドの娘によれば、家に1万通の手紙が届き、問い合わせの電話が頻繁にかかってきたという[3]。
モーリー島事件の調査詳細は「モーリー島事件(英語版)」を参照
SF雑誌『アメージング・ストーリーズ』編集長のレイモンド・A・パーマーが、UFOの破片を持っているというタコマの2人の港湾労働者の話の調査をアーノルドに依頼した[6]。パーマーは200ドルの調査資金をアーノルドに送った[6]。
7月29日、アーノルドはその港湾労働者の一人に接触した。港湾労働者は、「その物体のうちの一つが、内側から何千もの新聞紙のようなものを噴出し始めた。それは軽い金属のようなもので、地面に飛散した」と主張した。また、その飛行物体は溶岩のようなものを放出していて、それが自分の船に落ちてきて、働いている人の腕が折れ、犬が1匹死亡したとも主張した[6][7]。
アーノルドは、その港湾労働者の仲間のフレッド・クリスマン(英語版)にも話を聞いた。クリスマンはモーリー島(英語版)で未確認飛行物体を目撃し、破片を回収したことがあると主張した[6]。クリスマンはアーノルドに「白い金属」の破片を見せたが、アーノルドは、その物体はありふれたもので、先の港湾労働者の説明とは矛盾していると考えた[6]。
アーノルドはアメリカ空軍に連絡を取り、8月1日、2人の士官が調査のためにB-25でやって来た[6]。