ケネス・アンガー
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ケネス・アンガー
Kenneth Anger
本名Kenneth Wilbur Anglemeyer
生年月日 (1927-02-03)
1927年2月3日
没年月日 (2023-05-11) 2023年5月11日(96歳没)
出生地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ロサンゼルス郡サンタモニカ
国籍 アメリカ合衆国
民族ドイツ系アメリカ人
職業映画監督
俳優
作家
ジャンル映画
活動期間1936年 - 2023年
公式サイト ⇒ケネス・アンガー公式サイト
主な作品
『花火』
『スコピオ・ライジング』
『我が悪魔の兄弟の呪文』
『ルシファー・ライジング』
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ケネス・アンガー(Kenneth Anger, 1927年2月3日 - 2023年5月11日[1])は、アメリカ合衆国映画監督。自身の作品に主演するなど役者としても活動。
人物

手がけた映像は精神世界を投影した難解なものが多く、実験映画とよばれ、カルト映画アンダーグラウンド映画として紹介されることも少なくない。また、内容のほとんどは個人が深く傾倒する神秘主義悪魔主義をテーマに描かれる。ただし2010年のインタビューによると、自身はサタニストではないと答えている[2]

また同性愛者としても知られ、処女作『花火』では同性への激しい性衝動を描き、わいせつ容疑で逮捕された。

2023年5月11日にカルフォルニア州の介護施設で死去。享年96[3]
経歴

アンガーは、カリフォルニア州サンタモニカに生まれた。本名は、ケネス・ウィルバー・アングルマイヤー(Kenneth Wilbur Anglemyer)[4]

高校で読んだ本をきっかけに超自然現象や儀式魔術(英語版)へ興味をもつようになり、10代後半にはアレイスター・クロウリーが説いたセレマの信奉者となった。これらオカルトへの探究心は自身のライフワークとなり、映画監督としてのキャリアへ後々まで大きな影響をもたらすこととなる。また、子供のころからSF映画を好んだアンガーは学生時代に自主制作で映画を撮るようになると、自宅で特殊効果を再現して遊ぶこともあったという。この特殊効果や映像処理にたいする嗜好も、のちに産み出された数々の作品において「シュールかつオカルティックな映像作家」として独特な質感をもたらした。

また、幼少期のアンガーは子役として活動したというが、マックス・ラインハルトによる1935年の映画『真夏の夜の夢』へ出演したとする彼の主張は、配給元のワーナーによって提示されたプロダクションノート上で否定されている。彼が演じたとするインディアン・プリンスという役はシーラ・ブラウンという子役が演じており[5]、しかもシーラ・ブラウンは女の子であるとわかっている。
映画監督として

アンガーは9歳になると遊びで映画を撮りだしたと語るが、そのころのフィルムは紛失して現存していない。やがて南カリフォルニア大学在籍時に映画を学び、プロとして初めて世へ出された映画は20歳の作品、『花火(1947年)』である。わずか15分たらずの短編で、主演男優はアンガー自身であった。この頃、アンガーはすでに同性愛を自覚しており、私生活でもゲイへの偏見によるトラブルが警察沙汰へ発展することがあった。当時のアメリカでは現在ほど同性愛が理解されておらず、処女作にも、「主役が妄想のなかで水兵たちにリンチを受け、輪姦される」という暗喩的演出によってアンガー自身の苦悩と性的欲求が激しく投影されることとなる。結果として『花火』はゲイ・ポルノとして扱われて上映、前述のとおり、わいせつ容疑で逮捕される至りとなった。

しかし、アンガー本人が当時を振りかえったインタビューで「私はアメリカのアバンギャルドだった」と語るように、映画『花火』における性的描写とは、主人公に浴びせられる「おびただしい白い液体」、「公衆便所」、性器に見立てた酒ビンからの「射精をおもわせる煙」といったイメージを映像へコラージュするという抽象的なものである。すなわち性交そのものをメーンとするポルノ映画とは一線を画するものであり、当然ながら現代における作品への評価は相応のものへと変化した。わいせつ容疑に対してアンガーはカリフォルニア州最高裁判所において芸術作品として主張、世間からしばしば作風の類似性を指摘されたジャン・コクトーからは、好意的なコメントをもって賞賛された。

60年代中期のアンガーはロック・ミュージシャンとの交遊が盛んになり、やがてはローリング・ストーンズや、後にマンソン・ファミリーの一員となるボビー・ボーソレイユと映画を作った。ローリング・ストーンズのミック・ジャガーとは1969年の作品『我が悪魔の兄弟の呪文』、ボビー・ボーソレイユとは1973年の『ルシファー・ライジング』である。
短編映画『ルシファー・ライジング』

1966年に撮影が始まったとされるが、フィルムが盗難にあったことや度重なるキャスティングの変更、製作資金の問題などのトラブル続きで、いちどは制作が放棄された経緯をもつ。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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