ケニオン・マーティン
Kenyon Martin
デンバー・ナゲッツでのマーティン
(2011年)
基本情報
愛称K-Mart
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1977-12-30) 1977年12月30日(46歳)
出身地 ミシガン州サギノー
身長206cm (6 ft 9 in)
体重106kg (234 lb)
キャリア情報
高校ブライアン・アダムス高等学校
獲得メダル
アメリカ合衆国
アメリカ選手権
2003 サン・フアン
グッドウィルゲームズ
2001 ブリスベン
ユニバーシアード
1999 パルマー
ケニオン・リー・マーティン・シニア(Kenyon Lee Martin Sr., 1977年12月30日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州サギノー出身の元プロバスケットボール選手。NBAのデンバー・ナゲッツなどで活躍した。ポジションはパワーフォワード。愛称は"K-Mart"。息子のケニオン・マーティン・ジュニアもNBA選手。 シンシナティ大学に4年間在籍しダーマー・ジョンソン 2000年のNBAドラフトでは期待通りの全体1位指名を受け、ニュージャージー・ネッツに入団した。ルーキーシーズンでは、68試合に先発出場し、平均12得点、7.4リバウンド1ブロックを記録。見事オールルーキー1stチームに選出された。2003-2004シーズンでは、キャリア初のNBAオールスターゲームに出場。ネッツでは4シーズンに渡りプレーしたが、2004年将来のドラフト1巡目指名権と引き換えのトレードでデンバー・ナゲッツに移籍した。 それまでのネッツでの活躍は司令塔ジェイソン・キッドの存在があってこそ、という評価がささやかれながらも、ナゲッツでの初年度である2004-05シーズンは70試合に出場した。翌2005-06シーズンは膝の故障のために56試合の出場に留まったがプレイオフには出場。しかしながら、4月25日に行われたロサンゼルス・クリッパーズとの1回戦第2試合において、「膝を痛めた」として後半を欠場。これは前半に7分しか出場できなかったことで憤りを感じ、ハーフタイム中にジョージ・カールHCと衝突したことが原因とされる。両者には亀裂が走ったが、2006-07シーズン開幕前には関係が回復されたと報じられた(移籍の噂も多々あった)。期待された新シーズンだったものの、開幕2試合で右膝を悪化させて戦線離脱。内視鏡手術を受けた後、症状が予想以上に悪かったことが判明した。シーズン中の復帰は絶望的になってしまった。その後2007-08シーズンには71試合に出場したものの以前ほどのインパクトを失いつつある。 2011年夏、フリーエージェントとなった彼はロックアウト中のNBAから、中国プロバスケットボールリーグの新疆フライングタイガースと1年契約を結んだ。同年12月24日、チームから解雇された。当初中国のリーグが終了するまでNBAへの復帰は認められないはずであったが、国際バスケットボール連盟の許可がおり、それより早く契約を結べるようになり、2012年2月3日、ロサンゼルス・クリッパーズと契約を結んだ[1]。 2015年1月9日、ミルウォーキー・バックスと10日間契約を結び、その後正式にシーズン終了までの契約を結んだが、2月19日のトレード期限日にロースターの再編成の関係で解雇。 2015年7月1日、現役引退を発表した[2]。 略称説明 シーズンチームGPGSMPGFG%3P%FT%RPGAPGSPGBPGPPG
経歴
学生時代
NBA
個人成績
GP出場試合数 GS 先発出場試合数 MPG 平均出場時間
FG% フィールドゴール成功率 3P% スリーポイント成功率 FT% フリースロー成功率
RPG 平均リバウンド数 APG 平均アシスト数 SPG 平均スティール数
BPG 平均ブロック数 PPG 平均得点 太字 キャリアハイ
NBA
レギュラーシーズン
2000?01NJN686833.4.445.091.6307.41.91.11.712.0
2001?02NJN737334.3.463.224.6785.32.61.21.714.9
2002?03NJN777734.1.470.209.6538.32.41.3.916.7
2003?04NJN656234.6.488.280.6849.52.51.51.316.7
2004?05DEN706732.5.490.000.6467.32.41.41.115.5
2005?06DEN564927.6.495.227.7126.31.4.8.912.9
2006?07DEN2231.5.500.000.25010.0.5.0.09.5
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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