グレーブス・アースキン
Graves Erskine
ガールスカウトのクッキー売りとアースキン将軍(1945年頃)
生誕 (1897-06-28) 1897年6月28日
アメリカ合衆国・ルイジアナ州コロンビア
グレーブス・ブランチャード・アースキン(Graves Blanchard Erskine、1897年6月28日 - 1973年5月21日)は、アメリカの海兵隊員。第二次世界大戦中の硫黄島の戦いにおける第3海兵師団長として特にその名を知られる。最終階級は海兵隊大将。 1897年、ルイジアナ州コロンビアに生まれる。高校卒業時には卒業生総代(Valedictorian)を務めた。1912年秋にルイジアナ州立大学に入学し、同じ時期にルイジアナ州兵に入隊している。1916年より州兵としてメキシコ国境に派遣されている。1917年5月21日、海兵隊予備役 大学卒業後、海兵隊入営。1917年7月5日、海兵隊少尉任官。 1918年1月、第6海兵連隊
経歴
生い立ち
軍歴
第一次世界大戦
大戦における戦功から、彼は銀星章を受章している。また彼の所属した第6連隊はフランスにより戦功十字章(英語版)(Croix de Guerre)を3度授与されており、グレーブスを含む第6連隊の将兵はフラジェール(Fourragere)と呼ばれる飾緒状の記章を着用する事が認められた。
その後、ミズーリ州カンザスシティの徴募事務所、在ハイチの第1臨時海兵旅団、巡洋艦USSオリンピア搭乗部隊、在サントドミンゴの第2海兵旅団などに勤務する。1924年9月、バージニア州クアンティコの海兵隊兵舎で需品部長(Depot Quartermaster)となる。その後、ジョージア州フォート・ベニングの陸軍歩兵学校を卒業し、クアンティコ海兵隊学校の教官となった。
1928年3月、彼は第2海兵旅団およびニカラグア国家警備隊(英語版)分遣隊の隊員としてニカラグアに派遣され、その後2年間勤務した。この期間中、彼は大統領警護隊の組織を行ったほか、当時の大統領ホセ・マリア・モンカダ・タピア(英語版)の顧問兼護衛を務めた。また国家警備隊の部隊を率いてニカラグア北部における山賊討伐作戦の指揮をとった。
帰国後、基本術科学校(英語版)の教官を務めた後、指揮幕僚学校(Command and General Staff School)を卒業し、クアンティコの海兵隊学校にて教官として配属された。1935年1月から1937年5月まで中華民国・北平にある在中アメリカ大使館付き海兵分遣隊の一員として勤務。1937年6月から再び海兵隊学校に勤務。1940年、第5海兵連隊(英語版)の監督将校(Executive Officer)としてクアンティコおよびグァンタナモ基地に勤務した。 第二次世界大戦の勃発時、彼は大西洋艦隊水陸両用隊(Amphibious Force, Atlantic Fleet)の参謀長だった。1942年9月、太平洋艦隊水陸両用軍団(Amphibious Corps, Pacific Fleet)の参謀長となる。1943年7月から8月にかけて、アラスカ・アリューシャン列島にてアッツ島およびキスカ島への侵攻に備えた演習および訓練・作戦立案等を行った。この直後、彼は第5水陸両用軍団
第二次世界大戦