グレート義太夫
本名鈴木 正之
ニックネームたけし軍団の弁慶
別名義夏目亭透析
生年月日 (1958-12-26) 1958年12月26日(65歳)
出身地 日本 東京
血液型B型[1]
言語日本語
最終学歴亜細亜大学中退
師匠ビートたけし
グループ名たけし軍団
芸風音楽演奏、ギター漫談
事務所株式会社TAP
活動時期1982年 -
過去の代表番組オレたちひょうきん族
スーパーJOCKEY
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城
北野ファンクラブ
北野富士
足立区のたけし、世界の北野 ほか
他の活動ミュージシャン、作家
配偶者独身(離婚歴あり)
親族元 小結國登國生(叔父)
公式サイト義太夫の部屋
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グレート義太夫(グレートぎだゆう、1958年〈昭和33年〉12月26日 - )は、日本のお笑いタレント、ミュージシャン。本名は鈴木 正之(すずき まさゆき)。株式会社TAP所属。
元小結の國登國生は叔父にあたる。 大学時代、音楽系サークルでドラマーとして活動しているうちに、プロミュージシャンを目指すようになる。バンド『雷神』を組み、アマチュアとして活動していた。 『ビートたけしのオールナイトニッポン』のリスナーであった義太夫は、ビートたけしのファンとなり弟子志願をするが、その際ドラムが特技であることを披瀝し、当時のたけしのバックバンド『シークレット・ポリス
来歴
名前の由来は、当時プロレスで“毒霧”を吹く謎のレスラーザ・グレート・カブキを揶揄して、風貌が太った体型でだらりとした長髪であったことも共通していたため、“歌舞伎”を“義太夫”と洒落て命名された。
その後たけしらとともに雑誌社フライデー襲撃事件にも参加した。その際、消火器を持って大暴れし、「たけし軍団の弁慶」とネタにされた。
近年は蜷川幸雄演出作品の常連であり、コメディ・リリーフとして重宝されている。2006年、『タイタス・アンドロニカス』の再演では、イギリスのロイヤル・シェイクスピア・シアターでの公演も経験。道化役を演じ、観客の爆笑を取っていた。
2009年6月、自らの糖尿病生活を綴ったエッセイ「糖尿だよ、おっ母さん!」を発表。さらに糖尿病を悪化させて腎不全に陥ってしまったため現在は週3回の人工透析が欠かせない状態であるが[2][3]、舞台出演のほか、落語、ギター漫談にも取り組んでおり、現在はボーイズバラエティ協会に入会し、同協会の浅草東洋館での定席にも上がっている[4]。 『シークレット・ポリス』時代は、楽曲『浅草キッド』の制作時にたけしにアドバイザーとして関わり、またライブアルバム『野戦病院?ビートたけし&たけし軍団ライブ
ミュージシャン
1992年にたけしと宮沢りえが共演したエースコック・スーパーカップのCMソングの作詞、作曲を担当した。その他にも細川ふみえ『ポチにやつあたり』、中條かな子『ことばさがして』、日のり子『十年後の私』などを作曲した。また北野ファンクラブの人気コーナー『亀有ブラザーズ』ではギター演奏を担当した。
事務所の後輩マキタスポーツのバンド『マキタ学級』のサポートギタリストでもあり、そのブルージーなギターサウンドはファンも多い。アルバム『金もうけ』では、スケジュールの関係でレコーディングにあまり参加出来ず、コーラスと『NEWS』という曲のギターのみとなっている。
たけしが大会最高顧問を担当する「THE MANZAI2014」では、オープニングで、ドラム演奏を披露している。 若い頃は力士と見紛う程の大兵肥満であり、力士お断りを標榜する食べ放題の焼肉店で、帽子を被った姿を変装した力士と主人に間違われて追い返されそうになったことがある[5][6]。 2002年に長年の同棲相手と結婚したが、2006年に離婚している。 無類の猫好きである。
人物
出演作品
テレビバラエティ番組
学問のススメ(TBS)
オレたちひょうきん族(フジテレビ)
痛快なりゆき番組 風雲!たけし城(TBS)
ビートたけしのお笑いウルトラクイズ(日本テレビ)
スーパーJOCKEY(日本テレビ)
北野ファンクラブ(フジテレビ)
北野富士(フジテレビ)
足立区のたけし、世界の北野(フジテレビ)
北野タレント名鑑(フジテレビ)
たけしのコマ大数学科(フジテレビ)※ダンカンが欠席した時の代理出演
ダウトをさがせ!(毎日放送)
明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー(フジテレビ) - 数回電話出演