グレン・ヒューズ
グレン・ヒューズ(2019年)
基本情報
別名The Voice of Rock
The God of Voice
生誕 (1951-08-21) 1951年8月21日(72歳)
出身地 イングランド スタッフォードシャー キャノック
ジャンルロック、ヘヴィメタル、ハードロック、ソウル、ファンク、ブルース
職業ミュージシャン、シンガーソングライター、音楽プロデューサー
担当楽器ベース、ボーカル
活動期間1967年 -
レーベルフロンティアーズ・レコード
ポニーキャニオン
SPV GmbH
ヤマハ
ゼロ・コーポレーション
共同作業者トラピーズ
ディープ・パープル
ヒューズ/スロール
グレン・ヒューズ(Glenn Hughes、1951年8月21日 - )は、イギリス出身のベーシスト兼ボーカリスト。1970年にトラピーズのメンバーとしてデビューし、1974年に第3期ディープ・パープルに加入して世界的な注目を浴びた。
2023年現在に至るまで、様々なバンドやプロジェクトでの活動と並行してソロ名義の活動を続けている。 1951年、スコットランド・グラスゴー・キャノックで生まれる。ディープ・パープル時代 (前列左端、1976年) 1968年、トラピーズにベーシスト兼ボーカリストとして加入[1]して、レコーディング・キャリアをスタート。トラピーズは翌1969年にクインテットとしてムーディー・ブルースが設立したスレッショルド・レコードと契約して、1970年にデビュー・アルバム『トラピーズ
略歴
1973年、ヒューズはロジャー・グローヴァーの後任の3代目ベーシストとして、第3期ディープ・パープルにスカウトされた。彼はソウルフルな声を持つボーカリストとしての実力も発揮して、同時期に加入したデイヴィッド・カヴァデールと時としてリード・ボーカリストの任を共有した[注釈 1]。第3期ディープ・パープルは1974年3月にアルバム『紫の炎』を発表し、同時にアメリカ・ツアーを開始。4月6日にはカリフォルニア州で開かれたカリフォルニア・ジャムに出演し、ヒューズも一躍有名になった。彼はカヴァデールと共に、ディープ・パープルの音楽にソウル・ミュージックやファンキー・ミュージックの要素をもたらした[注釈 2]。
1976年、第4期ディープ・パープルが解散。ヒューズはソロ活動を始め、翌1977年7月、トラピーズ時代の同僚と制作した初のソロ・アルバム『燃焼(英語版)』を発表[5]。その後、活動の拠点をアメリカへ移した。
1982年にギタリストのパット・スロールと共にヒューズ/スロール名義で作品を発表。ブラック・サバス時代 (左から2人目、1986年)
1985年にはボーカリスト兼ベーシストとしてゲイリー・ムーアの『ラン・フォー・カヴァー』、1986年にはボーカリストとしてブラック・サバスのトニー・アイオミのアルバム『セヴンス・スター』に参加する。ハードロック・バンド、ヨーロッパのメンバーであるギタリスト、ジョン・ノーラムと活動中にドラッグの問題でスウェーデンから強制退去を命じられる。脱ドラッグのリハビリテーションを行い、1991年にKLFのシングル「America:What time is Love」にボーカルとして参加し再デビューする。