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グレン・グールド
Glenn Gould
基本情報
生誕1932年9月25日
出身地 カナダ、トロント
死没 (1982-10-04) 1982年10月4日(50歳没)
カナダ、トロント
ジャンルクラシック音楽
職業ピアニスト・作曲家
担当楽器ピアノ
活動期間1945 - 1982
レーベルCBS
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グレン・ハーバート・グールド(Glenn Herbert Gould, 1932年9月25日 - 1982年10月4日)は、カナダのピアニスト、作曲家。
生涯
デビューまでアルベルト・ゲレロにピアノを習うグレン・グールド
1932年9月25日、トロントに生まれる[1]。旧姓名は、グレン・ゴールド(Glenn Gold)。プロテスタントの家系だが、ゴールドという苗字がユダヤ人に多く、当時高まっていた反ユダヤ主義に巻き込まれることを恐れて、グレンの生後まもなく一家はグールドと改姓した。母はノルウェーの作曲家グリーグの親類である。
母親は声楽の教師でピアノも弾き、父親は声楽同様ヴァイオリンの演奏ができた。母親からピアノの手ほどきを3歳から受けたのち、1940年に7歳にしてトロントの王立音楽院(英語版)に合格。同院で、レオ・スミスより音楽理論を、フレデリック・シルヴェスターよりオルガンを、アルベルト・ゲレロよりピアノを習う。1944年、地元トロントでのピアノ演奏のコンペティションで優勝。1945年にオルガン奏者としてデビュー。同年には、カナダ放送協会によりグールドのピアノ演奏が初のオンエア。1946年5月トロント交響楽団と共演しピアニストとしてベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」で正式デビューし、同年10月、トロントの王立音楽院を最年少で最優秀の成績で卒業。その後、1947年に初リサイタルを行って国内での高い評価を得た。
ゴルトベルク変奏曲の衝撃「バッハ:ゴルトベルク変奏曲 (グレン・グールドのアルバム)」も参照
1955年1月2日、ワシントンで公演してアメリカでの初演奏を行い、ワシントン・ポスト誌に「いかなる時代にも彼のようなピアニストを知らない」と高い評価が掲載された。続く1月11日のニューヨークでの公演で米国CBSのディレクター、d.オッペンハイマーがグールドの演奏に惚れ込み、翌日終身録音契約が結ばれた。