グレゴール・ギジ
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ドイツ政治家グレゴール・ギジGregor Gysi

生年月日 (1948-01-16) 1948年1月16日(76歳)
出生地 ソ連占領下ドイツ
東ベルリン
出身校フンボルト大学ベルリン
所属政党ドイツ社会主義統一党(1967年 - 1989年)
民主社会党(1989年 - 2007年)
左翼党(2007年 - )
欧州左翼党党首
在任期間2016年12月17日 -
左翼党連邦議会議員団長
在任期間2005年10月18日 - 2015年10月12日
連邦議会議員
選挙区(ベルリン=マルツァーン=ヘラースドルフ選挙区→)
ベルリン=トレプトウ=ケーペニック選挙区
当選回数7回
在任期間1990年10月3日 - 2002年2月1日
2005年9月18日 - 現職
ドイツ社会主義統一党議長
在任期間1989年12月9日 - 1989年12月17日
民主社会党議長
在任期間1989年12月17日 - 1993年1月31日
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グレーゴール・フローリアーン・ギージ(Gregor Florian Gysi, 1948年1月16日 - )は、ドイツ政治家左翼党所属。1989年に東ドイツ(ドイツ民主共和国)の支配政党であったドイツ社会主義統一党が改組して結成された民主社会党(PDS)初代議長(党首)に就任した。

ミハイル・ゴルバチョフユーロコミュニズムの影響を受けており、社会主義統一党内では改革派に属していた。
経歴
東ドイツの弁護士

東ベルリンで生まれる。彼の家系(祖母)はユダヤ人の血を引いており[1]、祖先の代から共産主義活動に熱心だった。ギージという姓自体はスイスドイツ語の姓である[2]。曾祖母はロシア貴族の家系。父クラウス・ギージ[3]は1931年にドイツ共産党に入党し、第二次世界大戦後は東ドイツで大使、文化大臣、教会問題省次官などを歴任した。姉ガブリエレ[4]女優。母方の伯父ゴットフリート・レッシング[5]戦後の一時期イギリス人作家ドリス・レッシングと結婚しており、彼女は2007年にノーベル文学賞を受賞した。1996年に結婚した妻アンドレア[6]弁護士かつ政治家であり、一女をもうけている。[7]アンドレアとは2010年に別居、2013年に離婚した。他に前妻との間に一男、養子が一人いる。

ギジは1966年にアビトゥーアに合格、畜産を学んだ実業高校を卒業し、ベルリン大学に入学して法学を学ぶ。在学中の1969年、東ドイツの支配政党であるドイツ社会主義統一党(SED)に入党。1970年に大学を卒業。1971年から弁護士として働き始め、東ドイツの数少ない自由派弁護士として反体制派や西側への亡命希望者の弁護を担当。1976年に法学博士号を取得。1988年、ベルリン弁護士協会及び東ドイツ弁護士協会の会長に就任。1989年に反体制的な「新フォーラム」に加入。アレクサンダー広場で演壇に立つギジ(1989年11月4日)

東欧革命のさなかの1989年、東ドイツでもデモや集会が頻発。ギジは旅行法改正要求運動で注目される。11月4日のベルリン・アレクサンダー広場における50万人デモでは群衆の前で演壇に立ち、選挙法改正や憲法裁判所設置を政府に要求した。その弁舌と理論でたちまちメディアの寵児となり、SED臨時党大会の準備委員に就任。さらに12月9日にはSED議長に選出された。12月16日、SED党大会で国家主権確保のため両ドイツの(対等な)協調を表明し、さらに党名を社会主義統一民主社会党(SED/PDS)に改名。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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