グレゴリオ聖歌
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聖ヘンリクを讃えた、14 - 15世紀成立の譜線ネウマによる Graduale Aboense 収録のイントロイトゥス(入祭唱) Gaudeamus omnes (「全てのものよ、喜ばん」)
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}フィンランドの守護聖人聖ヘンリクを讃えるミサの入祭唱 Gaudeamus omnes上掲画像の写本の大きな G からはじまる部分に相当。 "Annunciabunt . . . qu? fecit dominus" の文言の後と、 "Gloria patri." の後にアンティフォナが繰返される。 "Gloria patri" は冒頭と末尾のみ書かれている。末尾の "EVOVAE" は、最後の "saculorum, amen." の母音のみを記したものである。この音源では、ルネサンスドイツ式のラテン語発音を用いている。この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。
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グレゴリオ聖歌(グレゴリオせいか、グレゴリアン・チャント: Gregorian Chant)は、西方教会の単旋律聖歌(プレインチャント)の基軸をなす聖歌で、ローマ・カトリック教会で用いられる、単旋律、無伴奏の宗教音楽
概要

グレゴリオ聖歌は、主に9世紀から10世紀にかけて、西欧から中欧のフランク人の居住地域で発展し、後に改変を受けながら伝承した。教皇グレゴリウス1世が編纂したと広く信じられたが、現在ではカロリング朝にローマとガリアの聖歌を統合したものと考えられている。

グレゴリオ聖歌の発展とともに教会旋法が成立し、グレゴリオ聖歌は8つの旋法で体系づけられることとなった。旋律の特徴としては、特徴的なインキピット(冒頭句)や終止(カデンツ)、メロディの中心となる朗誦音(リサイティング・トーン)の使用、またセントニゼイションと呼ばれる既存のメロディを転用する技法によって発展した音楽語法があげられる。グレゴリオ聖歌の旋律はネウマ譜を用いて記譜され、このネウマ譜が16世紀に現代でも用いられる五線譜に発展した[1]。またグレゴリオ聖歌はポリフォニーの発展に決定的な役割を果たした。

歴史的には、教会では男性および少年合唱によって、また修道会では修道僧、修道女によってグレゴリオ聖歌は歌われてきた。グレゴリオ聖歌は、西方教会の各地固有の聖歌を駆逐し、ローマカトリック教会の公式な聖歌として、ローマ典礼に基づくミサや修道院の聖務日課で歌われるようになった。しかし、1960年代の第2バチカン公会議以降は現地語による典礼が許容されるようになったことを受けて、グレゴリオ聖歌の歌唱は義務ではなくなり、典礼音楽としてのグレゴリオ聖歌は次第に各国語の聖歌にとってかわられている。ただし、ローマ教皇庁の見解としては、依然としてグレゴリオ聖歌が典礼にもっともふさわしい音楽形態である[2]。20世紀には、音楽学の対象としてグレゴリオ聖歌の研究が進み、典礼を離れた音楽としても人気を得た。
歴史
初期聖歌の展開

無伴奏歌唱は、教会の最初期からキリスト教典礼に組み込まれていた。1990年代半ばまでは、古代イスラエル詩篇歌唱が原始キリスト教の典礼および聖歌に強く影響を与えたと考えられていたが、今日では、最初期のキリスト教の聖歌には詩篇をテキストとするものがなく、また紀元70年イスラエル包囲以後数世紀にわたってシナゴーグで詩篇が歌われていなかったことから、この見解は研究者の間では否定されている[3] 。ただし、初期キリスト教の典礼がユダヤ教の伝統を受け継ぎ、それが後まで聖歌のなかに痕跡を留めていることは事実である。例えば聖務日課はユダヤ教の祈りの時間に起源をもつものである。また、アーメンアレルヤヘブライ語であり、「サンクトゥス」の三唱はアミダー(立祷)でおこなわれるケドゥーシャ(三聖唱・「神は聖なるかな」と3度唱える)を受け継ぐものである[4]

新約聖書には、最後の晩餐で賛美歌を歌ったことが言及されている。すなわち「賛美の歌を歌ってから、彼らはオリーブ山へと出て行った」[5]とある。また教皇クレメンス1世テルトゥリアヌスアレクサンドリアのアタナシオスエゲリアなどの記録にも、初期キリスト教で賛美歌が歌われていたことがみえるが[6]、その言及は詩的もしくはあいまいなもので、この時代の音楽が実際にどのようなものだったかはほとんどわからない[7]3世紀成立のギリシア語のパピルス写本オクシュリンコス賛美歌には、音楽的な記譜があるが、この賛美歌とキリスト教の聖歌の伝統との関係は明らかでない[8]

一方、後にローマ典礼で用いられることになる音楽的要素は、3世紀には出現している。対立教皇ヒッポリュトスに著者が比定される『使徒伝承』では、アレルヤを繰返し唱えるハレル(詩篇に基づくユダヤ教の朗誦)を、初期キリスト教の愛餐(アガペー餐)と結びつけている[9] 。定時課に歌われる聖務日課の聖歌は、4世紀初頭、聖アントニウスに従って砂漠で修行を行った修道僧たちが始めた、毎週150の詩篇を一巡して歌う連誦に起源を持つ。375年頃には、東方のキリスト教ではアンティフォナ的な賛美歌が流行し、386年にアンブロジウスによってこれが西方にもたらされた。

5世紀から9世紀の間に聖歌がどのように展開したかについては、史料が乏しく、学説は定まっていない。410年頃には、アウグスティヌスがミサで昇階曲レスポンソリウムで歌っていることを記している。678年ごろには、ヨークにてローマ聖歌が教えられていた[10]。この頃の西方教会の地域では、ブリテン諸島(ケルト聖歌)、イベリア半島(モザラベ聖歌)、ガリア(ガリア聖歌)、イタリア半島(ローマ聖歌、古ローマ聖歌、アンブロジオ聖歌、ベネヴェント聖歌) などで各地に固有の聖歌が発展した。これらの伝統は、西ローマ帝国崩壊後に、5世紀にあったと考えられている通年の聖歌集から発展したものかもしれない。
新しい聖歌の成立伝説では、聖霊を表象する鳩がグレゴリウス1世に霊感を与え、グレゴリオ聖歌を書き取らせた。

グレゴリオ聖歌のレパートリーは、ローマ典礼でつかうために編成されたものである。音楽学者ジェームス・マッキノンによれば、ローマ式ミサの典礼次第の基礎は7世紀末の短い期間にまとめられたものである。一方、Andreas Pfisterer や Peter Jeffery などの他の研究者は、レパートリーの最古の部分はより古い時期に起源を持つものだと主張している。

研究者の論点は、聖歌旋律の主要部分が7世紀以前のローマに起源を持つものなのか、あるいは8世紀から9世紀初頭のフランク王国に起源を持つものなのかという点である。伝統的な通説を支持する人々は、590年から604年に在位した教皇グレゴリウス1世の果たした役割の大きさを指摘している[11]


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