グレコローマンスタイル
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グレコローマンレスリング

統括団体世界レスリング連合
通称Greco-Roman Wrestling (Lutte Greco-Romaine)、French Wrestling (Lutte francaise)、グレコローマン、グレコ、フラットハンド・レスリング
起源古代ギリシアローマ帝国イタリア[1]
実施状況
オリンピック1896年大会以降
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グレコローマンレスリング(: Greco-Roman、: Graeco-Roman)、クラシック・レスリング(欧州[2]、またはフランス式レスリング(ロシア、1948年まで)[3]は、世界中で実践されているレスリングのスタイルである。「グレコローマン」は「ギリシア=ローマ式」の意味。1896年に開催された初の近代オリンピックで競われ、1904年大会以降の全ての夏季オリンピックで競技種目となっている[4]。このレスリングスタイルは腰より下(下半身)をホールドすることを禁じており、これがフリースタイルレスリング(オリンピックで競われている別形態のレスリング)とグレコローマンを差別化する主な要素である。この制限によって投げ技に重きが置かれることになる。なぜなら、レスラーは相手をグラウンド(地面)に倒すために相手をつまずかせる技を使うことができず、投げられるのを避けるために相手の脚に自分の脚を引っ掛けたり掴んだりすることができないためである。

グレコローマンレスリングは国際的に実践されているいくつかのアマチュア競技レスリングの1つである。世界レスリング連合によって認められているその他のレスリング法規は、男子フリースタイルレスリング、女子フリースタイルレスリング、グラップリング(サブミッションレスリング(英語版))、パンクラチオン、アリシュ(英語版)(ベルトレスリング)、パフラヴァーニーレスリング、ビーチレスリングである[5]。グレコローマンは男子のみで、女子の大会は行われていない。2013年にレスリングがオリンピックの中核競技から除外された後に追加競技として何とか東京オリンピックでの実施種目として残った際、レスリング界の汚職八百長問題に加えて、「なぜ女子はグレコローマンがないのか」という質問も国際オリンピック委員会(IOC)からなされ、女子への普及が遅れており、技の攻防が少ないグレコローマンの廃止も懸念される事態となった[6]

「グレコローマン(ギリシア=ローマ式)」という名称が付けられているが、これは箔付けのためで、実際は古代ギリシアで行われていたレスリングとは形態が異なる。グレコローマンの起源は、ヨーロッパの民俗レスリングにある。フランスでは1830年代には、祭りやサーカスでプロレスラー同士の試合や素人相手の腕試しなどが行われていた[7]。当時のレスリングスタイルは残虐性が高かったが、1848年にフランスの興業師ジャン・エクスブライヤが最初の近代的なサーカスレスリング団を作り、ベルトから下のホールドを禁止するという現在のグレコローマンにつながるルールを作った[7]。このルールは大陸ヨーロッパ各地で人気を博し、「グレコローマン」または「フランス式」レスリングと呼ばれるようになり、1875年からはプロレスラーの間で世界グレコローマンヘビー級選手権(英語版)が争われた。アマチュア競技化も進み、初の近代オリンピックである1896年アテネオリンピックでもグレコローマンレスリング競技が開催された。一方で、イギリスで発展したキャッチ・アズ・キャッチ・キャンと呼ばれるスタイルは、現在のフリースタイルレスリングの源流の1つとなった。

グレコローマンスタイルは旧ソ連、東欧、中近東で人気がある[8]
歴史詳細は「レスリングの歴史」を参照

「グレコローマン」という名称は、地中海周辺の古代文明、特に古代ギリシャのオリンピックで見られたレスリングに似ているという意味で付けられた。当時の選手は、最初は体にぴったりした短いズボンを履いていたが、後には互いに裸で対戦していた[9]

ヨーロッパの民族レスリングの多くのスタイルからグレコローマン・レスリングが生まれたと推測されている[10]。世界レスリング連合によると、このスタイルを最初に開発したのはナポレオン1世(在位1804年 - 1814年、1815年)時代の近衛兵で興業師のジャン・エクスブライヤ(? - 1872年)であるとされる[11]。エクスブライヤは最初の近代的サーカスレスリング団を作り、1848年に腰から下のホールドや、相手を傷つけるような痛みを伴うホールドやねじりを禁止するルールを制定して、これを ≪ lutte a mains plates ≫(平手レスリングの意味)と呼んだ。しかしながら、この名称は少なくともフランス革命(1789年 - 1795年)以降既に使われていた。エクスブライヤ以前は、パンチが許された ≪ lutte de boxe ≫(ボクシングレスリングの意味)との対比でこの名称が使われていた。≪ lutte a mains plates ≫ は守備的レスリングであり、安全性のために打撃は平手でのみ行われていたためこう呼ばれた。「フレンチ(フランス式)レスリング」とも呼ばれたエクスブライヤのレスリングスタイルは、ヨーロッパ各地で発展し、人気のあるスポーツとなった。イタリアのレスラー、バジリオ・バルトレッティは、「古代の価値観」への関心を強調するために、このスポーツを「グレコローマン(Greco-Roman、ギリシア=ローマ式)」という言葉で表現した[1]。18世紀から20世紀にかけて、多くの人々が古代の運動競技との関連性を見出すことによって現代の運動競技の価値を高めようとした。18世紀に出版されたヨハン・クリストフ・グーツ・ムーツの著書『Gymnastics for Youth(青少年のための体操)』には、「オルソパレ(orthopale)」(プラトンがレスリングの立ち技を表現するのに使った言葉)と呼ばれる小学生のレスリングが紹介されているが、下半身のホールドについては言及されていない[10]。実際の古代レスリングはかなり異なるものであった[12]古代ギリシアのレスリングを参照されたい)[1]マットの上でも、グレコローマン・レスラーは、足を使わずに相手の肩をマットに回してフォールする方法を考えなければならない。

イギリスでは制限の少ないフリースタイルレスリングと比べてグレコローマンレスリングの人気はなく、アメリカでも南北戦争後にウィリアム・マルドゥーン(成功したニューヨークの酒場フリースタイルレスラーで、普仏戦争に従軍して、フランス式のスタイルを学んだ)がグレコローマンの振興に尽力したにもかかわらず人気がなかった[要出典]。しかしながら、ヨーロッパ大陸では、グレコローマンスタイルが大いに推進された。19世紀にはほぼ全ての大陸ヨーロッパの首都がグレコローマンの国際大会の開催地となり、入賞者にはかなりの賞金が贈られた。例えば、ロシアのツァーリは自身の主催する大会へ参加するレスラーには訓練のために500フランを支払い、大会優勝者には5000フランの賞金を授与した。グレコローマンレスリングはすぐに大陸ヨーロッパにおいて権威ある競技となった[10]。グレコローマンは近代オリンピックに登録された最初のレスリングスタイルである。1896年のアテネ大会ではヘビー級の1種目のみが行われ(1896年アテネオリンピックのレスリング競技[13]、20世紀に人気が高まっていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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