グレイバック_(SS-208)
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USS グレイバック

基本情報
建造所エレクトリック・ボート造船所
運用者 アメリカ海軍
艦種攻撃型潜水艦 (SS)
級名タンバー級潜水艦
艦歴
起工1940年4月3日[1]
進水1941年1月31日[1]
就役1941年6月30日[1]
最期1944年2月26日2月27日久米島南方沖にて戦没
その後1944年3月30日に喪失宣告
要目
水上排水量1,475 トン
水中排水量2,370 トン
全長307フィート2インチ (93.62 m)
最大幅27フィート3インチ (8.31 m)
吃水14フィート8インチ (4.5 m)
主機ゼネラルモーターズ製248型1,350馬力 (1.0 MW)ディーゼルエンジン×4基
電源ゼネラル・エレクトリック発電機×4基
出力5,400馬力 (4.0 MW)
電力2,740馬力 (2.0 MW)
推進器スクリュープロペラ×2軸
最大速力水上:20.9ノット
水中:8.75ノット
航続距離11,000カイリ/10ノット時
潜航深度試験時:250フィート (76 m)
乗員士官、兵員65名
兵装.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

21インチ魚雷発射管×10基(前方6,後方4)/魚雷×24本


竣工時
3インチ砲(英語版)×1基20mm機銃
1943年9月[2][3]
5インチ砲×1基20mm機銃×2基

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グレイバック (USS Grayback, SS-208) は、アメリカ海軍潜水艦タンバー級潜水艦の一隻。艦名はニシン科アロサ属に属するエールワイフの通称に因んで命名された。なお、喪失から14年後にグレイバック級潜水艦1番艦として2代目グレイバック (SSG-574)が就役している。エールワイフ(通称Grayback)
艦歴

グレイバックはコネチカット州グロトンエレクトリック・ボート社で起工した。1941年1月31日にブラウン夫人(アメリカ海軍兵学校司令官ウィルソン・ブラウン少将の妻)によって命名、進水し、1941年6月30日に艦長ウィラード・A・サーンダーズ少佐(アナポリス1927年組)の指揮下就役する。グレイバックは大西洋艦隊に配属され、ロングアイランド・サウンド、ニューポートニューロンドンニューヨーク沖で整調巡航を行う。グレイバックは僚艦グランパス (USS Grampus, SS-207) と共にニューロンドンを9月8日にカリブ海およびチェサピーク湾に向けて出航、哨戒を行い11月30日にオーバーホールのためポーツマスに帰還した。真珠湾攻撃によるアメリカ合衆国大戦参戦に従い、1942年1月15日、グレイバックは真珠湾へ向けて出航[1]。1月21日から25日にかけてパナマ運河を通過し[1]、2月8日に真珠湾に到着した。
第1、第2、第3、第4の哨戒 1942年2月 - 11月

2月15日、グレイバックは最初の哨戒でマリアナ諸島および小笠原諸島方面に向かった。2月22日朝、グレイバックは.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯25度48分 東経175度17分 / 北緯25.800度 東経175.283度 / 25.800; 175.283の地点で日本の伊号潜水艦に魚雷2本を発射され、グレイバックは反撃しようにも態勢が取れなかったが、魚雷は逸れて何事もなかった[4]サイパン島テニアン島グアムの沿岸を偵察する傍ら、2日後には別の潜水艦にも遭遇したが、この時も何事もなかった[5]。3月3日、サイパン島近海で小型商船に対して最初の攻撃を行うが、魚雷は命中しなかった[6]。3月5日にも4,500トン級貨物船に対して魚雷を発射するが、これも命中しなかった[7]。3月17日、グレイバックは父島二見港近海で特設運送船(給炭)石狩丸(北海道炭鉱汽船、3,291トン)を発見し、潜望鏡の視界内に2隻の駆逐艦と思しき艦艇がいたものの後部発射管から魚雷を発射して命中させ、石狩丸を撃沈した[8]。4月10日、グレイバックは54日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。

5月4日[9]、グレイバックは2回目の哨戒でカロリン諸島方面に向かった。ブタリタリおよびオーシャン島近海を経て、トラック諸島ラバウル間の交通路を扼する海域に到着して哨戒を行う[10]。次いでパラオとラバウル間の交通路に転じて哨戒を続けたが[11]、この哨戒では戦果を挙げることはなかった。6月22日、グレイバックは50日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。

7月15日[12]、グレイバックは3回目の哨戒で南シナ海およびインドシナ半島方面に向かった。8月7日および8月12日に攻撃を行ったが成功せず[13]、この哨戒でも戦果を挙げることはなかった。9月3日、グレイバックは51日間の行動を終えてフリーマントルに帰投[14]。艦長がエドワード・C・ステファン少佐(アナポリス1929年組)に代わった。グレイバックは次期哨戒に備えて、グランパスおよびガジョン (USS Gudgeon, SS-211) とともにブリスベンに回航され、10月3日に到着した[15]

10月6日[16]、グレイバックは4回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。10月17日、グレイバックは南緯05度12分 東経153度10分 / 南緯5.200度 東経153.167度 / -5.200; 153.167の地点で8,000トンから10,000トン級貨物船を発見し、攻撃を行ったが魚雷は命中しなかった[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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