グレイス・ペイリー
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グレイス・ペイリー
誕生グレイス・グッドサイド
(1922-12-11)
1922年12月11日
ブロンクスニューヨーク
死没2007年8月22日(2007-08-22)(84歳)
セットフォード、バーモント州
職業作家、詩人、教師、政治活動家
国籍アメリカ合衆国
最終学歴ニューヨーク市立大学ハンター校 (学位無し)
ニュースクール (学位無し)
代表作『さよなら、グッドラック』
『中古品の子供たちを育てる人々』
主な受賞歴アメリカ芸術文学アカデミー
配偶者ジェス・ペイリー
ロバート・ニコルズ
子供ノーラ・ペイリー
ダニー・ペイリー
ウィキポータル 文学
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グレイス・ペイリー (Grace Paley、1922年12月11日 - 2007年8月22日) はアメリカ合衆国短編小説作家詩人教師政治活動家

批評家から高い評価を受けた三つの短編小説集を書き、1994年に出版された『The collected stories(英語版)』はピューリッツァー賞全米図書賞の最終候補となった[1][2]。その作品は、子供時代を送ったブロンクスに大きく影響を受けた、都市での生活における日々の衝突、悲嘆に焦点を合わせたものだった[3]

作家、大学教授としての活動にとどまらず、フェミニスト反戦活動家であり、「幾分戦闘的な平和主義者であり、協調性のある無政府主義者」と自身を表現していた[1]
幼少期と教育

グレイス・グッドサイドとして1922年12月11日にブロンクスで生まれ、両親はユダヤ人のアイザック・グッドサイドとマンヤ(旧姓リドニク)で、ともにウクライナ出身の社会主義者(特に母親)だった[2][4]。二人はグレイスが生まれる16?17年前に移住してきた(ある説明によると1906年[2])[4]。皇帝ニコラス二世統治下のウクライナから、母はドイツ、父はシベリアへの亡命を経て、名前をグートザイトからグッドサイドに変えて、ニューヨークで新しい生活を始めた[2]

家族は家ではロシア語イディッシュ語を、のちに英語を話すようになった(父はディケンズを読んで英語を学んだ)[4]。アイザックはニューヨークで教育を受けて医者になり、夫婦は早くに二人の子供を、中年に差し掛かるころ三人目のグレイスを授かった[2]。グレイスは姉ジーンより14歳年下、兄ヴィクターより16歳年下で、子供のころはお転婆と言われた[5]。子供のころ、周りの大人との知的な議論に興味を持ち、社会主義者の若者グループFalcons(英語版)のメンバだった[6]

高校を16歳で中退した後[6]ニューヨーク市立大学ハンター校に1年間(1938年?1939年)通い[7]、1942年6月20日 19歳のとき[2] 映画カメラマンのジェス・ペイリーと結婚した[5]。夫婦は二人の子供ノラ(1949年生まれ)とダニー(1951年生まれ)を授かったが、後に離婚した[6][8]

パリ・レヴュー(英語版)のインタビュー紹介への寄稿で、ジョナサン・ディー、バーバラ・ジョーンズ、ラリッサ・マクファークハー(英語版)は以下のように述べている。

執筆活動がペイリーの主な仕事であるのは時折のことだった。子供が小さいときは遊び場で多くの時間を過ごした。フェミニスト、平和運動にずっと非常に熱心に取り組んだ。[4]

17歳の時、ニュースクール(ニューヨーク)(英語版)で短期間、W・H・オーデンとともに学び[5]、詩人になることを望むようになった[2]。どちらの大学でも学位を取得することは無かった[6]
執筆活動

執筆活動を始めたころ、出版社に送った作品は何度も不採用になった[6]。最初の作品集『人生のちょっとした煩い(1959年)』をダブルデイから出版した[2]。作品集はニューヨークの生活を描いた11編の物語から成り、そのうちのいくつか、とくに『さよなら、グッドラック』、『中古品の子供たちを育てる人々』は広くアンソロジーに収録されており、半自伝的な登場人物フェイス・ダーウィン(『中古品の子供たちを育てる人々』、『少年期の問題』の作中)が登場している。フェイスは後に『最後の瞬間のすごく大きな変化』の6つの物語、『その日の後刻に』の9つの物語に登場する[9][6][10][11]。無名の作家の作品集に対するレビュは多くはかったが、フィリップ・ロスザ・ニューヨーカーの書籍紹介を含め、取り上げられたレビュでは高い評価を得た[10]。少ない宣伝にもかかわらず、『人生のちょっとした煩い』は多くの読者を獲得し、1968年にバイキング・プレス(英語版)からも出版された[12]

『人生のちょっとした煩い』の成功を受けて、出版社は長編小説を書くことを勧めたが、二年間草案をいじくりまわした結果、ペイリーはその試みを断念した。その代わりに短編小説に集中し続けた[7]

友人であり隣人のドナルド・バーセルミを励ましを受け[6][4]、1974年に第二作品集『最後の瞬間のすごく大きな変化』をファラー・ストラウス&ジルー(英語版)から出版した[2]。この17編からなる作品集は、『人生のちょっとした煩い』から何人かを再登場させ(最も特筆すべきは語り手のフェイスだがジョニー・ラフタリーとその母親も登場する)、同時に人種ジェンダー階級にまつわる事柄への探求が描かれている[9]。長い物語『木の中のフェイス』はおよそ作品集の中心に位置し、土曜の午後の公園を舞台に複数の物語からの多くの登場人物やテーマが集結する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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