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グレイスランド
グレイスランド (Graceland) は、アメリカのロックミュージシャン、エルヴィス・プレスリーの邸宅だった建物を含む、その敷地である。 アメリカのテネシー州メンフィスエルヴィス・プレスリー街3764、ミシシッピ州との境界から北へ4マイル弱、ダウンタウンから約12マイルの広大なホワイトヘイブン・コミュニティにあり、白い円柱が特徴。敷地面積は13.8エーカー(5.6ヘクタール)。家の一部は一般公開されており、エルヴィスの命日には、世界中からファンが集まる「聖地」として知られる。ホワイトハウスの次に最も訪問された個人の家として年間平均600,000人以上の訪問客がある。世界で最も訪問者数が多い私邸(またはお墓)として、ギネス・ワールド・レコーズに登録されている。最も多かったのは没後18年後にあたる1995年で753965人が訪れた。エルビス・プレスリーは1977年8月16日にここで亡くなり、プレスリー、彼の両親ヴァーノン、グラディス、彼の祖母は通称瞑想の庭に埋葬されている。 1982年6月7日より博物館として公開されており、1991年11月7日にアメリカ合衆国国家歴史登録財 (National Register of Historic Places 2006年6月には、エルヴィスの大ファンである小泉純一郎首相がジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領と共にグレイスランドを訪問し、エルヴィスの元夫人プリシラ・プレスリーと娘のリサ・マリー・プレスリーの出迎えを受けたが、その際に小泉はブッシュらの前でエア・ギターをしながら「グローリー グローリー ハレルーヤー」と唄うハプニングがあった。これは、小泉がエルヴィスのファンであることを示そうと、リパブリック讃歌を曲の一節に取り入れたエルヴィスの代表曲「An American Trilogy(邦題:アメリカの祈り)」を自らの判断で披露したものであるが、小泉の予期せぬ行動はブッシュらから失笑を買ってしまう。その様子は、当日の日米両国のニュースで「小泉の奇行」として紹介された。[要出典] グレイスランドは当初農場として、以前のメンフィス・デイリー・アピールというメンフィスの新聞のプレスルーム主任で、当時メンフィスの商業印刷会社トゥーフ・ビルディングの創設者、S.C.トゥーフによって所有された。この地はトゥーフの娘グレイスの名をとってグレイスランドと名づけられ、グレイスは農場を相続した。まもなく現在グレイスランドと呼ばれる部分は彼女の甥と姪に与えられた。1939年、グレイス・トゥーフの姪であるラス・ムーアは夫トーマス・ムーア博士と共に現在のアメリカの「コロニアル様式」の邸宅を建設した。 1957年前半、エルヴィスはメンフィス東部のオードゥボン通り1034番地にあった家を引き払った後に、約100,000ドルでグレイスランドを購入した。彼が引っ越したのはプライバシー、安全面、そしてファンの行動による近所迷惑を考えた上でのことだった。エルヴィスは父親のヴァーノン・プレスリーと母親のグラディスと共にグレイスランドへ転居した。1958年のグラディスの死後、1960年ヴァーノンはディー・スタンリーと結婚し、しばらくそこで生活をした。のちにエルヴィスと結婚することとなるプリシラ・ビューリーも結婚前に5年間グレイスランドで生活をした。1967年5月1日ラスベガスで結婚してから1972年後半の離婚まで、プリシラはもう5年グレイスランドで暮らしていた。 1977年8月16日、エルヴィスは心臓発作でグレイスランドのバスルームで死亡。 邸宅は黄褐色の石灰岩から造られ、8室のベッドルームとバスルームを含む23室の部屋で構成される。ドアの前には風の神殿と呼ばれる4本の円柱、屋根付きの玄関の両側には2匹の大きなライオンが座っている。 邸宅購入後、プレスリーは彼の好みに合わせ大改築を行なった。敷地を囲む自然石壁、精巧に作られた音楽をテーマにした門、プール、ラケットボール・コート、屋内の滝を特徴とする有名な「ジャングル・ルーム」など。
概要
ファンの「聖地」
国定歴史建造物グレイスランドに向かう小泉首相
首相訪問
歴史
建築と改築
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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