アレクサンダー・グラハム・ベル
1914年から1919年ごろ
生誕 (1847-03-03) 1847年3月3日
スコットランド、エディンバラ
死没 (1922-08-02) 1922年8月2日(75歳没)
カナダ、ノバスコシア州 ベイン・バリー
居住 イギリス、 アメリカ合衆国、 カナダ
国籍 イギリス、 アメリカ合衆国、 カナダ
研究分野工学
研究機関ボストン大学
出身校エディンバラ大学
ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン
主な業績電話機の発明
署名
プロジェクト:人物伝
アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell、1847年3月3日 - 1922年8月2日)は、スコットランド生まれの科学者、発明家、工学者。世界初の実用的電話の発明で知られている[注釈 1]。
ベルの祖父、父、兄弟は弁論術とスピーチに関連した仕事をし、母と妻は聾だった。このことはベルのライフワークに深く影響している[3]。聴覚とスピーチに関する研究から聴覚機器の実験を行い、ついに最初のアメリカ合衆国の特許を取得した電話の発明(1876年)として結実した[注釈 2]。後にベルは彼の最も有名な発明が科学者としての本当の仕事には余計なものだったと考え、書斎に電話機を置くことを断わった[5][注釈 3]。
その後も様々な発明をしており、光無線通信、水中翼船、航空工学などの分野で重要な業績を残した。1888年にはナショナルジオグラフィック協会創設に関わった[7]。その生涯を通じて科学振興および聾者教育に尽力し、人類の歴史上最も影響を及ぼした人物の1人とされることもある[8]。
ベルが会長(在職期間:1896年 - 1904年)を務めたナショナルジオグラフィック協会の月刊誌である『ナショナル ジオグラフィック』日本版(日経ナショナル ジオグラフィック社)では「アレクサンダー・グラハム・ベル」としているため、本記事ではこれに従うが、表記発音については脚注参照[注釈 4]。
目次
1 前半生
1.1 最初の発明
1.2 教育
1.3 音声についての初実験
1.4 家族の悲劇
2 カナダ
3 聾者教育
4 さらなる実験
5 電話
5.1 特許出願競争
5.2 その後の発展
5.3 特許裁判
6 家庭生活
7 その後の発明
7.1 フォトフォン
7.2 金属探知機
7.3 水中翼船
7.4 航空
8 優生学
9 死
10 栄誉と記念
10.1 名誉学位
11 個人に関する逸話
12 脚注
12.1 注釈
12.2 出典
13 参考文献
14 関連項目
15 外部リンク
15.1 特許
15.2 映画
前半生 両親と兄弟(1852年)
1847年3月3日、スコットランドのエディンバラに生まれる[9]。生家のあった場所には2012年現在石碑が立っている。メルヴィル・ジェームズ・ベル (1845?70) とエドワード・チャールズ・ベル (1848?67) という2人の兄弟がいたが、2人とも結核で若くして亡くなった[10]。父は大学教授のアレクサンダー・メルヴィル・ベル、母はイライザ・グレイス(旧姓はシモンズ)である[11]。ベルが生まれたときの名前にはミドルネームがなかったが、10歳のときに父に兄弟たちのようなミドルネームが欲しいと懇願した[12][注釈 5]。11歳の誕生日、父はその願いを聞き入れ Graham というミドルネームを与えた。Graham としたのは、父の友人にアレクサンダー・グラハムというカナダ人がいたからで、その友人への敬意をこめてそれをミドルネームとしたのだった[13]。父は彼を「アレック」と呼び続け、近親者や友人にもアレックと呼ばれていた[14]。 幼いころから好奇心旺盛で、植物標本を集めたり、実験したりしていた。そのころの親友ベン・ハードマンの家では製粉所などを営んでいた。若きベルは製粉所で困ったことはないかと訊ねた。そして、製粉前の脱穀が重労働だということを知り、12歳のアレックは回転パドルとブラシを組み合わせた単純な脱穀機を作り、それが何年も実際に使われたという[15]。お返しにベンの父ジョン・ハードマンは2人の少年に「発明」のための作業場を与えた[15]。
最初の発明