グル・グラント・サーヒブ
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グル・グラント・サーヒブ

『グル・グラント・サーヒブ』(グルムキー文字???? ????? ?????)はシク教の中心的聖典であり、シク教徒により、人間の歴代グルに続く、権威を持つ、最後の生きているグルとして敬意を表されている。第五代グル・アルジャン(1563-1606)によって『アーディ・グラント』(第一の編集版)は編纂された。それに第十代グル・ゴービンド・シングは自分の詩歌を付け加えることはなかったが、第九代グル・テーグ・バハードゥルの115の詩歌を付け加え、更に、この経典が自分の後継者であると確言した。この第二の編集版が『グル・グラント・サーヒブ』として知られている[1]グル・ゴービンド・シングの死後、バーバー・ディープ・シングとバーイー・マニー・シングは配布のために多くの写本を用意した。

本文は1430ページ、6000行から構成されている[2]。聖典の大半は、著者と長さと従って分類された31のラーガ(北インド古典音楽の旋法)によって配置されている。

グル・グラント・サーヒブはグルムキー文字で表記され、ランダー語(西パンジャーブ語)、ブラジュ・バーシャーカリボーリーサンスクリットシンド語ペルシャ語を含む様々な言語が使われており、しばしば、サント・バーシャーの名で呼ばれる[3]

『グル・グラント・サーヒブ』は主に六人のグル達(グル・ナーナク、グル・アンガド、グル・アマルダース、グル・ラームダース、グル・アルジャン、グル・テーグ・バハードゥル)によって成り、また、十四人のヒンドゥーのバクティ運動のサントたち(ラーマーナンダカビール、ナームデーヴなど)とムスリムスーフィーであるシャイフ・ファリードの教えも含んでいる[4]

『グル・グラント・サーヒブ』の構想は、いかなる種類の抑圧もない、神聖な正義に基づく社会である。この聖典が、ヒンドゥーやイスラムの聖典を認め、尊重しているとしても、それはヒンドゥーとイスラム宗教混淆を意味しているわけではない。グルドワーラー(寺院)に安置されており、多くのシク教徒が敬礼し、聖典がグルドワーラーに出座する時には平伏する。聖典は永遠のグルバーニー(グルの言葉)を示しており、シク教の霊的権威である[5]
歴史

グル・ナーナクの在世中、彼の賛歌が編集されて、朝晩の祈祷のためにシクのコミュニティに送付された。彼の後継者であるグル・アンガドは、グル・ナーナクの書いたものの収集を開始し、第三-第五代のグル達も同様の作業が続けられた。

第五代グル・アルジャンが、彼の前任者たちの書いたものを収集していた時、グルを詐称していた者達が、歴代グルの書いたものとして公表したものの中に、彼ら自身の書いたものを含めているということを発見した。偽作の品が合法性を得るのを防ぐために、グル・アルジャンはシクの共同体のために聖典を編集することにした。彼は父である前任のグル・ラームダースの作品を集め終えて、第三代グル・アマルダースの息子であったモーハンに、彼の持っていた三代のグルたちの作品集を提供するように説得した。グル・アルジャンは聖典のために賛歌を選び、バーイー・グルダースが筆記者として働いた[6]

こうして原稿が纏められている時に、ムガール皇帝アクバルは、それがイスラムを中傷している内容を含んでいるという報告を受けた。アクバルは北インドを巡行中、そこに止まり、その内容を調べることを要求した。そこで、バーバー・ブッダとバーイー・グルダースは原稿の写しを携えて皇帝に出向した。アクバルは、任意に三つの詩編を選んで読んだが、中傷となるものはなく、報告は誤りであったと決定した[7]

1604年、グル・アルジャンによる原稿は完成し、バーバー・ブッダを初めてのグランティ(読誦者)として、ハリマンディル・サーヒブに安置された。シク教徒の共同体は北インド中に点在していたので、彼らのために、この聖典の写しが作られる必要があった。第六、第七、第八代のグルたちは宗教的な詩歌を作ることはなかったが、第九代グル・テーグ・バハードゥルは作った。1704年、皇帝アウラングゼーブによる激しい戦争の一年の中断の時、ダンダマ・サーヒブで、グル・ゴービンド・シングとバーイー・マニー・シングは、聖典の決定的な版を作成するために、グル・テーグ・バハードゥルの作品をアーディ・グラントに追加した。この期間中、バーイー・マニー・シングは、グル・ゴービンド・シングの作品と彼の宮廷詩人たちの作品を集めて、第二の宗教的経典ダシャム・グラントを製作した[8]
シク教での意味と役割

シク教徒は、『グル・グラント・サーヒブ』がシク教徒のためだけではなく、人類すべてのための精神的な導きであると考えている。また、シク教徒の生き方を導く中心的な役割をもっている。シク教徒の献身的生活の位置は、二つの基本的主義に基づいている。聖典が宗教と道徳に関するすべての質問に答えるグルであるということを、その中に見出すことができる。その賛歌と教えはグルバーニー(グルの言葉)と呼ばれている。このようにシク教の神学では、啓示された聖なる言葉は、過去のグル達によって書かれたものである。グル達と別に、多くの聖人達がバガトあるいは帰依者と呼ばれる。グラント・サーヒブをグルと認めるグル・ゴービンド・シング
『アーディ・グラント』から『グル・グラント・サーヒブ』へ

1708年、グル・ゴービンド・シングはシク教徒たちのグルの称号をアーディ・グラントに付した。この出来事は、グル達と関係のあったラージプートの支配者の宮廷の詩人で、目撃者であるナルブド・シングの『バット・ワーヘ』に記録されている[9]。他の文書も第十代グルの宣言を証明している。それ以来、シク教徒はグル・グラント・サーヒブを永遠のグルとして認めた。
グルとバガット

『グル・グラント・サーヒブ』は下記のシクのグル6人と聖詩人(バガット)15人、バットと呼ばれる詩人たちの詩歌を収録している。

年代収録数
グル・ナーナク
1469-1539974初代グル。
グル・アンガド1504-155262二代目グル。
グル・アマルダース1479-1574907三代目グル。
グル・ラームダース1534-1581679四代目グル。
グル・アルジャン1563-16062218五代目グル。
グル・テーグ・バハードゥル1621-1675116九代目グル。
ジャイデーヴ12C?2ベンガルのバラモン。サンスクリット詩人。ギータ・ゴーヴィンダの作者。
バーバー・ファリード1173?1265116ファリードゥッディーン・マスウード・ガンジェシャカル。イスラム・チシュティー派の導師であり、パンジャーブ文学の父とも呼ばれる。
サドナ1180-?1シンドゥのイスラム詩人。
トリローチャン13C4三界を見渡すという三眼を意味する尊称。ムンバイに住んだ。
ナームデーヴ1270-135060マハーラーシュトラの詩人・仕立て屋。出家よりも在家生活を重視した。
ラーマーナンド14C-15C1カビール、ダンナー、ピーパーなどの師として伝わっている高名なバラモンであるが、実像は不明。ラーム・バクティ信仰の大家。
ラヴィダース1399-?41ウッタル・プラデーシュの靴職人。ラマーナンドの弟子とされる。バクティ運動の重要な一人。21世紀に彼を奉じて、シク教から分離したラヴィダース教が存在する。
ダンナ1415-?4ラージャスターンの詩人。ヒンドゥーの生まれであったが、既存のヒンドゥーの習俗を否定した。
ピーパー1425-?1ラージャスターン、ジャラーワルの王であった。ドゥルガー信仰であったが、後に無属性(ニル・グナ)の神への信仰に移った。
カビール1440-1518541ウッタル・プラデーシュの詩人。最も有名なサント。
ベーニー15C-16C3グル・ナーナクと同時代の詩人と言われる。
スールダース1483-15732ウッタル・プラデーシュ・マトゥラーの詩人。
パルマーナンド1483-?1マハーラーシュトラの詩人。
ビーカン1480-15732アクバル帝の時代の詩人だが、ビーカンの名で知られている者は二人おり詳細は不明。
バット(詩人たち)126バーイー・マルダーナー、と歴代グルの宮廷の11(or15)人のバット。カル・シャール、バッル、バッラ、ビッカー、ガヤンド、ハルバンス、ジャラプ、キーラト、マトゥラー、ナル、サルなど。

構成

『グル・グラント・サーヒブ』のすべては、16世紀にグル・アンガドによって標準化されたグルムキー文字で書かれている。シク教の伝統と、初期のシク教の手稿『マーマン・プラカシュ』によれば、グル・アンガドはグル・ナーナクの存命中に、その提案を受けて文字を造ったとなっている。グルムキーを訳せば「グルの口から」という意味であり、ランダー文字を改良したものであり、最初からシク教の聖なる文書を記すために使われた。シク教徒はグルムキー文字を非常に尊厳あるものとしている[10]。グルムキー文字はインド・パンジャーブ州で、パンジャーブ語を表記する公式文字である。パキスタン内のグルドワーラーではペルシャ文字由来のシャームキー文字で書かれたグル・グラント・サーヒブも存在する。シャームキー文字によるグラント

グルたちは音楽を通して神性を崇拝することを、至福の状態に達する最善の方法と考えた。

『グル・グラント・サーヒブ』はラーガ別に分類され1430ページに及び、それは二つに区分することができる。


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