グルジア文字
??????? ??????????
?????????? = 文字
類型:アルファベット
言語:グルジア語、メグレル語、オセット語、アブハズ語
時期:4世紀初め頃 - 現在
伝統的な日付3世紀紀元前
親の文字体系:原カナン文字
フェニキア文字
ギリシャ文字?
グルジア文字
Unicode範囲:U+10A0-U+10FF
音素文字の歴史
青銅器時代中期-原シナイ
前19-15世紀
ウガリット 前15世紀
原カナン 前14世紀
フェニキア 前11世紀
古ヘブライ 前10世紀
サマリア 前6世紀
アラム 前9世紀
ブラーフミー 前6世紀
(インド系)
チベット 7世紀
クメール 7世紀
ジャワ 9世紀
他多数
ヘブライ 前3世紀
シリア 前2世紀
ナバテア 前2世紀
アラビア 4世紀
ペルシア 7世紀
ウルドゥ 11世紀
ターナ 18世紀
パフラヴィ 前2世紀
アヴェスタ 4世紀
ソグド
突厥 5世紀
ウイグル 8世紀
(契丹小字 10世紀)
(女真小字 12世紀)
モンゴル 13世紀
満洲 16世紀
シベ 20世紀
トド 17世紀
ワキンダラー 20世紀
ギリシア 前9世紀
エトルリア 前8世紀
ラテン 前7世紀
ルーン 2世紀
オガム 4世紀
ゴート 4世紀
コプト 300年
グルジア 4世紀
アルメニア 405年
グラゴル 862年
キリル 10世紀
イベリア 前6世紀
南アラビア 前9世紀
ゲエズ 前5–6世紀
メロエ 前3世紀
カナダ先住民 1840年
注音 1913年
グルジア文字(グルジアもじ、??????? ??????????, kartuli damtserloba)は、南コーカサスにあるジョージア(グルジア)の公用語であるグルジア語(カルトリ語)を書き表すために用いられる文字である。アブハズ語、オセット語の表記のために用いられていたこともある。
現代のグルジア文字は33文字から構成され、アセンダーやディセンダー、あるいはその両方を持つ字がある。左から右へ横書きされるアルファベットである。
2015年4月に日本政府が国家の外名を「グルジア」から「ジョージア」へ変更したのに前後し(ジョージアの国名も参照)、「ジョージア文字」への言い換えも見られるが、グルジア語と同様に学会等で呼称の変更決議が行われた事実は確認されていない。
歴史ビール・エル・クット碑文
グルジア文字がいつどのようにして生まれたのかについて、詳しいことは明らかでない[1]。8世紀に書かれたグルジアの年代記は紀元前3世紀のグルジア王パルナヴァズ1世 がグルジア文字を創ったと伝えているが、確証はない。
グルジアでキリスト教が国教化された4世紀に聖書などをグルジア語に翻訳するために創りだされたとする説が有力である[1]。文字の順序や、本来ならばグルジア語の表記には不要な文字が含まれギリシア文字に対応すべき位置にあることなどから、ギリシア文字を参考に創られたと推定される[1]。また、円弧と直線の組み合わせという原則に忠実に創られていることから、別の文字が形を変えたものではなく、独自に創りだされたようだ[要出典]。
グルジア文字が記されたもので、現在知られている限り最も古い例は、パレスティナのベツレヘム付近の教会で発見された、430年ごろに書かれたと推定される碑文である[1]。グルジア国内では、トビリシから南に30kmほどのところにあるボルニシ (Bolnisi) のシオニ (Sioni) 教会の碑文が最も古く、5世紀末のものと考えられている。しかし、近年になってグルジア国内で4世紀よりも前に書かれた可能性のある碑文が発見され、成立の時期についての議論が起きている[1]。
グルジア文字は歴史的に2度大きく形を変えた。9世紀ごろまでに用いられていた文字は、ムルグロヴァニ(mrglovani「丸文字」)またはアソムタヴルリ(asomtavruli「頭文字」)と呼ばれる。9世紀から11世紀にかけては、ヌスフリ(nusxuri「目録文字」)またはクトホヴァニ(kutxovani「角文字」)と呼ばれる形が取ってかわった。11世紀以降、ムヘドルリ(mxedruli「戦士文字」)と呼ばれる形が現在に至るまで使用されている[1]。
古くはムヘドルリと古い2種類の文字は共存し、ムヘドルリが世俗的な内容、古い文字が宗教的な内容を記すのに用いられた。ヌスフリを主としながらムルグロヴァニを題名や文頭に用いる書き方が発達し、両者はまとめてフツリ(xucuri「聖職者の文字」)と呼ばれた。最終的には宗教的な内容もムヘドルリによって書かれるようになった。1860年代にイリア・チャフチャヴァゼを中心として正書法が改革され、不要な5文字が除かれて33文字になった[2]。
2016年、グルジア文字の3種の書体がユネスコの無形文化遺産に登録された[3]。