グリーンランド人のサガ[1](グリーンランドじんのサガ、古ノルド語:Gr?nlendinga saga、アイスランド語:Granlendinga saga)はサガの一つ。アイスランド人のサガ
に分類される。『グリーンランド人のサガ』は、『赤毛のエイリークのサガ』とともに、ノース人によるアメリカ大陸の植民地化の二大文献史料の一つに数えられる。これら2つのサガは「ヴィンランド・サガ」と呼ばれており、赤毛のエイリークとその追随者のグリーンランド植民、それにエイリークの子供達とソルフィン・カルルセフニによる数度の西方探検が描かれている。
このサガは14世紀後半のフラート島本に保存されており、13世紀に最初に書かれたと言われている。描かれている事件は970年から1030年頃のものである。このサガは空想的な部分もあるが、ある程度は真実が含まれていると考えられている。作中に『赤毛のエイリークのサガ』の言及があるため[2]、『赤毛のエイリークのサガ』のあとに成立したものと考えられる。
『グリーンランド人のサガ』を日本語に訳した北欧文学者谷口幸男は、本作を『赤毛のエイリークのサガ』とくらべて、「叙述は末期のサガの特徴とされる人物描写の誇張が見られ、文章は説明的で、全体として真実味に欠け、平板類型的で面白みに欠ける」としている[3]。
あらすじ
グリーンランド植民 『赤毛のエイリークのサガ』、『グリーンランド人のサガ』で述べられているヴィンランド、ヘッルランド、マルクランドへの航路予想図
エイリークとその父ソルヴァルド・アスヴァルズソン
(Torvaldr Asvaldsson)は殺人を理由にノルウェーからアイスランドへ移住する。エイリークはそこでショーズヒルドを妻に娶ったが、彼はまた問題をおこし、集会でアイスランドから追放されてしまう。そこでエイリークは西へ向かい、グンビョルン・ウルフソン(Gunnbjorn Ulfsson)という名の男が前に流されたときに見つけたという島を探すことにした[4][5]。エイリークはスナイフェルスヨークトル山のふもとから出帆し、氷河に覆われた陸地の岸に着いた。その岸に沿って南下し、定住可能な土地を探した。2年の探検の後、彼はアイスランドに帰り見つけた陸地を報告し、グリーンランドと名付けた。名前の理由は、良い名前のほうが人々を引きつけられるだろうから、という[6]。
アイスランドで一冬を越した後、エイリークはもう一度グリーンランドに植民するため出帆する。この探検では30艘の船で出発したが14艘しかグリーンランドに到達することは出来なかった。エイリークはグリーンランド南西部のブラッターフリーズ(Brattahlid)に住み、そこで尊敬される指導者となった。ショーズヒルドとエイリークはレイフ、ソルヴァルド、ソルステインの三人の息子とフレイディースという娘をもうけた。 ビャルニ・ヘルヨルフソン
ビャルニの航海
アイスランドから船出して3日後、ビャルニは北風と霧の悪天候に見舞われ、進路を見失ってしまった。何日か悪い天気が続いたがその後また太陽が輝きだし、ビャルニは森に覆われた陸地に到達した。これはグリーンランドではない、と判断したビャルニは錨を下ろさずそのまま出発した。ビャルニはさらに2つの島を見つけたがどちらも彼が聞いていたグリーンランドの特徴に合わなかったので、乗組員は上陸したいと望んだが錨を下ろさなかった。最後にグリーンランドに到着し、ビャルニはそこに定住した[7]。
ビャルニの話は『グリーンランド人のサガ』のみに見られる描写である。ビャルニは『赤毛のエイリークのサガ』には登場せず、そちらではレイフがヴィンランドの発見者とされている[8]。
レイフの探検 ベルハルト・ホエトガー(Bernhard Hoetger)によるレイフとカルルセフニのパネル(1934年制作)。