グリーンピア
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グリーンピア(和製英語:Green Pia)とは、日本の公的保養施設。正式名称は大規模年金保養基地[1]年金福祉事業団が全国的に設置した年金保養施設の通称である[1]勤労者および青少年健康増進と、増大する余暇の有効利用を目的として建設・整備された[1]

全国に13箇所の施設が設置されたが、公的年金流用問題の発覚により廃止が決定され、2005年平成17年)末までに全施設が売却された。売却後の施設は一部を除き、所在地の自治体によりグリーンピア等の公的保養施設として、また民間譲渡された施設はリゾートホテル等として営業を継続している。廃止の経緯については「公的年金流用問題#グリーンピア問題」を参照
歴史
列島改造論による建設

根拠法は1961年(昭和36年)10月に成立した年金福祉事業団法で、同法により年金被保険者らの「福祉の増進に必要な施設の設置又は整備を促進する」ことが規定され、建設が可能となった[2]。同法に基づき、同年11月25日に厚生省所管の特殊法人として年金福祉事業団が設立された。

1972年(昭和47年)7月、第1次田中内閣が発足。日本列島改造論を掲げた田中角栄内閣総理大臣に就任した。同年8月、田中は首相の私的諮問機関として日本列島改造問題懇談会を設置した。これに促されてグリーンピア構想が具体化し、同年8月に厚生省年金局大蔵省理財局がグリーンピア設置に合意した。

1975年(昭和50年)7月にはグリーンピア建設の「全体基本計画」が発表された[2]1980年(昭和55年)から建設が開始され[3]小泉純一郎が厚生大臣を務めていた1988年(昭和63年)まで建設が続けられた[2][3]。日本全国の13箇所(北海道本州四国九州の13道県)に設置された[2]

グリーンピアは、厚生年金保険及び国民年金の受給者が、生きがいある有意義な老後生活を送るための場を提供するとともに、これら年金制度の加入者及びその家族等の有効な余暇利用に資することを目的として、年金福祉事業団が大蔵省資金運用部から財政投融資による貸付けを受けて設置し、地方公共団体等に委託して運営していた。
特殊法人改革による廃止方針

1996年平成8年)に成立した第2次橋本内閣が進めた特殊法人等改革により、2001年(平成13年)4月に年金福祉事業団法が廃止。これに伴い同年3月に同事業団は廃止、同年4月1日に年金資金運用基金へ改組され、グリーンピアの施設管理運営業務は同基金に継承された。同年12月の第2次森内閣における閣議決定で「特殊法人等整理合理化計画」が打ち出され、同基金がグリーンピア施設の管理運営業務から撤退することが決定。グリーンピアについては「平成17年(2005年)度までに廃止、特に赤字施設についてはできるだけ早期に廃止する」とされた。

グリーンピア廃止は小泉内閣による行政改革聖域なき構造改革」の一環として行われた。小泉純一郎首相は国会国会での答弁で「2005年度までに(売却価格が)安くてもすべて廃止処分」とすることを明言した[4]
公的年金流用問題の発覚

2004年(平成16年)には公的年金流用問題が発覚し、年金保険料が本来の年金給付以外の事業へ安易に流用されていることが問題視された。その中で、グリーンピアの赤字が増大していることと、年金福祉事業団が旧厚生省(厚生労働省)と社会保険庁天下り先となっていることや箱物行政であるなどと厳しく批判された。これを受け、同年に成立した年金積立金管理運用独立行政法人法(平成16年法律第105号)により、2005年度(平成17年度)末までに、全国13箇所のグリーンピア施設をすべて廃止することとなり、公的施設として引き続き活用できるよう地方自治体等への譲渡を進めることとした。

公的リゾートホテルとしての性格を持って全国に建設・整備されたグリーンピアであったが、計画性なく無駄に資金を投入して経営不振になり、少子高齢化が進んだ日本の公的年金積立金の不安定化にさらなる打撃を与える結果となった[5]

また、グリーンピアの施設13箇所のうち、大半(大沼、田老、岩沼、二本松、津南、南紀、安浦、土佐横浪、南阿蘇)が歴代厚生大臣の地元であったことなどから、建設利権も指摘された[2][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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