グリーンビル市
City of Greenville
位置
サウスカロライナ州におけるグリーンビルの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度50分40秒 西経82度23分8秒 / 北緯34.84444度 西経82.38556度 / 34.84444; -82.38556
グリーンビル(Greenville)は、アメリカ合衆国サウスカロライナ州北西部にある都市。グリーンビル郡の郡庁所在地である。人口は7万0720人(2020年)で、チャールストン、コロンビア、ノースチャールストン、マウントプレザント、ロックヒルに続く州第6の都市である。一方で、都市圏人口は約92万、広域都市圏に至っては約166万人に上り、州内最大都市のチャールストン、州都のコロンビアを凌ぎ、サウスカロライナ州最大となっている。
グリーンビルは「アップステート・サウスカロライナ」と呼ばれる、州北西部の丘陵地帯に位置する10郡にまたがる地域における、経済・教育・文化の中心である。20世紀初頭には、市は繊維産業の中心地として発展した。また、世界的なタイヤメーカーであるミシュランは北米本部をグリーンビルに置いている[2]。教育面では、グリーンビルにキャンパスを構えるファーマン大学をはじめ、アップステート・サウスカロライナ地域の大学が参加しているコンソーシアムがその本部をグリーンビルに置いている。
歴史ダウンタウンに立つナサニエル・グリーン像
1663年、イングランド王チャールズ2世は、カロライナ植民地を8つに分け、8人の貴族にそれぞれ土地を与えた。今日のグリーンビルがあるこの地はベンジャミン・ノーウッド4世に与えられた[3]。しかし、ノーウッド4世はアヘン中毒で悪名高く、複数の愛人を持ち、その統治も腐敗に満ちていた[4]。ノーウッド4世による植民地統治が失敗に終わった後、この地はイングランド王室に戻された。
1763年にパリ条約が結ばれ、フレンチ・インディアン戦争が終結すると、この地はネイティブ・アメリカンのチェロキー族のものとされ、白人は原則立ち入り禁止とされた。しかし実際には、既にこの地に入植した白人が数家族あり、白人の交易商人がこの地を日常的に行き交っていた。この地に初めて恒久的に入植した白人はリチャード・ペアリスであった。ペアリスはチェロキー族の女性と結婚し、チェロキー族の所有する土地の一部を分け与えられていた。ペアリスに分け与えられた土地の中には、今日のグリーンビル市域や、その北に広がるパリス・マウンテンが含まれていた[5]。独立戦争においては、ペアリスとチェロキー族はイギリス側についた。終戦後、チェロキー族はデウィッツ・コーナー条約に従って、この地をサウスカロライナ州に割譲した。
今日のグリーンビル市は、もともとは1797年に創設されたプレザントバーグという名の村であったが、1831年に現称のグリーンビルに改名された[6][7]。このグリーンビルという名は、独立戦争で戦績を挙げた大陸軍少将ナサニエル・グリーン、もしくは初期の入植者であったアイザック・グリーンにちなんでつけられたと考えられている[5][7]。