グリーンズボロ_(ノースカロライナ州)
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グリーンズボロ市
Greensboro, North Carolina

グリーンズボロ市のスカイライン
愛称 : 門の都市(Gate City)
位置

ノースカロライナ州におけるグリーンズボロの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度04分48秒 西経79度49分10秒 / 北緯36.08000度 西経79.81944度 / 36.08000; -79.81944
歴史
市1808年
行政
アメリカ合衆国
 ノースカロライナ州
 ギルフォード郡
グリーンズボロ市
Greensboro, North Carolina
市長ビル・ナイト(民主党)
地理
面積 
  域283.0 km2
    陸上  271.2 km2
    水面  11.8 km2
      水面面積比率    4.16%
標高266 m
人口
人口(2020年現在)
  域299,035人
  都市圏1,589,200人
  備考[1]
その他
等時帯東部標準時 (UTC-5)
夏時間東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : ⇒Official website of Greensboro, NC

グリーンズボロ(: Greensboro、発音:/??ri?nzb?ro?/[2])は、アメリカ合衆国ノースカロライナ州中北部のギルフォード郡にある都市。人口は29万9035人(2020年)。州内ではシャーロット、州都ローリーに次いで3番目に人口が多く、ギルフォード郡を中心とするピードモント・トライアド都市圏では最大の都市である。

グリーンズボロ市は、ノースカロライナ州中央部ピードモント台地を走る2本の主要州間高速道路(85号線と40号線)の交わる所に位置している。

2003年、一般にピードモント・トライアドと呼ばれた、それまでのグリーンズボロ=ウィンストン・セーラムハイポイント都市圏(大都市統計地域、MSA)が行政管理予算局によって再定義され、グリーンズボロ=ハイポイント都市圏とウィンストン・セーラム都市圏に分割され、グリーンズボロ=ウィンストン・セーラム=ハイポイントは広域都市圏(合同統計地域、CSA)と定義された。2010年の国勢調査では、グリーンズボロ=ハイポイント都市圏の人口は723,801人[3]であった。グリーンズボロ=ウィンストン・セーラム=ハイポイント広域都市圏全体では、2010年の国勢調査による人口1,589,200人[3] となっており、アメリカ合衆国の広域都市圏順位では31位に位置する。

1808年、グリーンズボロ(1895年以前の綴りはGreensborough)は、近くのギルフォード・コートハウスの町から郡庁所在地としての機能を引き継ぐために中心となる郡庁舎広場を計画した。この行動によって郡内の地理中心に近い所に郡庁舎が動き、郡内住人の大多数は以前より容易に郡庁舎に到達できるようになった。

グリーンズボロは小さな行政中心から1900年代初期までに繊維産業と交通の中継点となり、今日では事業を再配置するための南部でも有望な中心の一つとして浮上している。2世紀が経った今でもグリーンズボロはその美しさと居住性で称賛を集めている。2004年、アメリカ合衆国エネルギー省はグリーンズボロの「クリーン都市殿堂」入りを決めた。

2008年6月30日、住人10,000人以上、面積8平方マイル (20 km2) を僅かにこえる地域を併合した[4]
歴史アメリカ独立戦争の英雄、ナサニエル・グリーン将軍
初期の歴史

グリーンズボロは、アメリカ独立戦争中の1781年3月15日ギルフォード郡庁舎の戦い大陸軍を指揮したナサニエル・グリーン将軍に因んで名付けられた[5]。この戦闘で大陸軍は敗北したことになっているが、チャールズ・コーンウォリス卿のイギリス軍も大きな損失を蒙り、そのボロボロになった軍隊はノースカロライナを離れてバージニアに向かうことを選んだ。この決断に続いて大陸軍はフランス軍と結んでバージニアのヨークタウンにコーンウォリスを閉じ込め、そこで20日間の包囲戦の後の1781年10月19日にイギリス軍は降伏を強いられることになり、かくして独立戦争は実質的に終わった。イギリス軍を弱らせるためにグリーンの採った行動が、最終的に大陸軍がイギリス軍に勝利する結果を呼んだことになった[6]

グリーンズボロはギルフォード郡の地理中心近くに設立されたが、その土地は「ハックルベリーの藪がある深い下生えの未開森林であり、香りの良い果物ができていた[7]。」将来の村のための土地は98ドルで購われ、南北に走る3本の道路(グリーン、エルム、デイビーの各通り)が東西に走る3本の道路(ガストン、マーケット、シカモアの各通り)と交わるように配置された[8]。郡庁舎はエルム通りとマーケット通りの交差点中心に建てられた。1821年までにこの町には369人の住人が住むようになった。

1840年代初期、当時のジョン・モアヘッド知事(その領地であるブランドウッドはグリーンズボロ内にあった)の要請により州政府はグリーンズボロを新しい鉄道が通るように選定した。グリーンズボロは実質的な成長を始め、間もなく州内交通の中継点としての役割のために、「門の都市」(Gate City)と呼ばれるようになった[9]。鉄道は繊維工場の商品輸送に使われ、市の周りにも繊維工場の集まりができた。これらの事業は21世紀まで市内に残っていたが、その大半は破産し、再編され、あるいは他の会社に併合された。グリーンズボロは現在でも、インターナショナル・テクスタイル・グループ(コーン、バーリントン・インダストリーズ)、ガレイ・アンド・ロード、ユニファイおよびVFコーポレーション(ラングラーリーザ・ノース・フェイス、ノーティカ)といった会社が主要な拠点を置く繊維産業の主要中心である。グリーンズボロは地域の輸送主要中継点として機能しているので、鉄道輸送の重要さが残っており、アムトラックワシントンD.C.アトランタを経由してニューオーリンズを結ぶ幹線であるノーフォーク・サザン鉄道線で毎日4編成の旅客列車を運行し、その停車駅がグリーンズボロにある。ブランドウッド邸宅、アレクサンダー・ジャクソン・デイビスがトスカナ様式のビラを設計

グリーンズボロの発展は緩りとだったが、初期に綿花の貿易と交易から得られた富が幾つかの著名な建物建設に繋がった。最も初期の建物で後にブランドウッド邸宅と庭園と名付けられたものは、1795年に建設された。この住居に加えて1846年には、ニューヨーク市のアレクサンダー・ジャクソン・デイビスが設計したアメリカで最も初期のトスカナ様式のビラとして、国内に影響を与えた史跡である家屋を建てた[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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