グリーリー
市
Greeley
市内にあるウェルド郡裁判所
愛称: The 970、G-Town、Greality
標語: Great. From the Ground Up.
ウェルド郡内の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度25分 西経104度43分 / 北緯40.417度 西経104.717度 / 40.417; -104.717
グリーリー(英語: Greeley)は、アメリカ合衆国コロラド州の都市。ウェルド郡の郡庁所在地で、人口最大の都市である[5]。人口は10万8795人(2020年)。コロラド州北部に位置しており、州都デンバーからは北北東に79km離れている。フロントレンジ都市回廊の主要都市。
歴史シティホール
町の名前は「ニューヨーク・トリビューン」紙の編集者ホレス・グリーリーに由来する[6][7]。1869年に実験的なユートピア社会として、ユニオン・コロニーという名前で市の歴史が始まったが、後の1886年4月6日、コロラドの政治家ベンジャミン・イートンがホレス・グリーリーを記念して市名をグリーリーとすると発表した[8]。グリーリーは酪農、農業を基盤として設立されたが、最先端の技術にも遅れずについていった。電話線は1883年に開通、ダウンタウンの電灯は1886年に整備された[8]。1910年までには馬車に混じって自動車が道路を走るようになった[8]。1922年に開設されたKFKAはアメリカでも初期のラジオ局の一つである[8]。グリーリー市営空港は1928年に開業した[8]。市には第二次世界大戦中の1943年に、ドイツ人捕虜収容所、イタリア人捕虜収容所の2つの捕虜収容所が置かれた[8]。
1969年には酒類の販売の許可を問う投票が行われ、わずか477の投票数ながら可決された[8]。これにより市の禁酒時代は終わった。
グリーリー・フィルハーモニック・オーケストラは1911年から活動をはじめた[8]。1958年、グリーリーは初めて文化部門が置かれた都市となった[8]。
市は現在も変化と成長を続けており、人口は1970年の水準より倍以上になっている。 グリーリー市内(もしくはすぐ西側)には以前、オーバーランド・トレイルのレイサム駅(当初はチェロキーシティ駅と呼ばれていた)があった。レイサム駅(フォート・レイサムとしても知られていた)は1862年に建設され、駅名はカリフォルニアの初期の上院議員の一人ミルトン・S・レイサムから採られた。この駅馬車の駅はサウスプラット川とキャッシュ・ラ・プードル川の合流地点にあった。ここではコロラドで初めて白人の子どもが生まれたと信じられている。フォート・レイサムにはインディアンとの戦いが起こった1860年?1864年まで連邦政府軍の司令部が置かれており、郡庁所在地となった[9]。
レイサム
ユニオン・コロニーユニオン・コロニー市民センター