グリード_(1924年の映画)
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グリード
Greed
劇場ポスター
監督エリッヒ・フォン・シュトロハイム
脚本エリッヒ・フォン・シュトロハイム
ジューン・メイシス
原作フランク・ノリス 『死の谷 マクティーグ』
製作エリッヒ・フォン・シュトロハイム
エイブ・レアー
アーヴィング・タルバーグ
出演者ギブソン・ゴーランド(英語版)
ザス・ピッツ
ジーン・ハーショルト(英語版)
音楽ウィリアム・アクスト
撮影ベン・F・レイノルズ
ウィリアム・ダニエルズ(英語版)
編集42リール版&24リール版
エリッヒ・フォン・シュトロハイム
フランク・ハル
18リール版
レックス・イングラム
グラント・ホワイトック
10リール版
ジューン・マティス
ジョセフ・W・ファーナム(英語版)
配給メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
公開1924年12月4日
1926年11月5日[1]
上映時間462分(オリジナル版)
140分(公開版)
239分(再構成版)
製作国 アメリカ合衆国
言語無声
製作費$665,603
興行収入$274,827
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『グリード』(Greed)は1924年公開のアメリカサイレント映画。原作はフランク・ノリスの小説『死の谷 マクティーグ(マクティーグ サンフランシスコの物語)』。監督はエリッヒ・フォン・シュトロハイム

この時代としては珍しく全てロケーション撮影され、しかも撮ったフィルムは85時間もあった。ラストシーンのデスヴァレーでの撮影だけで2ヶ月を費やし、病気になったスタッフ・役者もいた。技術的には、パンフォーカス撮影やセルゲイ・エイゼンシュテインに代表されるソビエト・モンタージュ理論に沿った編集といった洗練された映画テクニックを使った。内容的には、シュトロハイムはこの作品を、エミール・ゾラの自然主義小説『獣人』のように環境と遺伝によって運命づけられた人々が織りなすギリシア悲劇、と考えていた。

編集途中で制作会社であるゴールドウィン・ピクチャーズメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに吸収合併され、数年前にユニバーサル・ピクチャーズでシュトロハイムをクビにしたアーヴィング・タルバーグポストプロダクションを仕切った。8時間近くあったオリジナル版はシュトロハイムの意向を無視して約2時間半に編集し直された。オリジナル版を見たのはたった12人で、これまでに作られた映画の中でも最高の映画と言う者もいるが、現存していない。後にシュトロハイムは『グリード』は自分の作品でももっとも思い通りのことが実現できた作品で、スタジオによる再編集には公私ともに傷ついたと語っている[2]

映画アーカイビストたちから「聖杯」とも呼ばれるオリジナル版だが、たびたび発見されたと嘘の情報が流れている。1999年、ターナー・エンターテインメントは残っていたスチル写真を使用して4時間の再構成版を完成させた。公開当時は批評も興行もさんざんだったが、1950年代から再評価され、今では映画史上最高の映画の一本とみなされている。
あらすじ

1908年、マクティーグはカリフォルニアの北斗七星金鉱採掘場で働く鉱夫だった。飲んだくれの父親に似た息子の将来を案じた母親は、巡回してきた偽医者のポッターに息子を託す。

数年後、マクティーグは独立して、サンフランシスコで歯医者を経営している。そこに親友のマーカスが従兄妹で許嫁のトリナを歯の治療のために連れてくる。女性とあまり接したことのないマクティーグはたちまちトリナに恋をし、父親の血であろうか、治療中にトリナに接吻をしてしまう。

マクティーグはマーカスにトリナを譲ってほしいと頼む。マーカスは驚くが、侠気からトリナを譲り、さらにトリナには富くじを与える。

マクティーグとトリナは結婚することになる。そこに、富くじが当選したとの報せ。トリナは5000ドルの金貨を手に入れる。しかし、それが3人の運命を狂わせることになる……。
カットされたエピソード

オリジナル版から2つのエピソードがカットされている。

一つは、マクティーグの歯科医院で働く掃除婦で、マーカスに富くじを売るメキシコ人女性マリアの話。マリアは純金のダイニングセットを夢見て、屑屋のザーコウとそのことを話している。ザーコウはマリアがそれを持っているものと勘違いして結婚するが、それは見つからず、ザーコウはマリアが嘘をついてると思い込み、彼女を殺し、サンフランシスコ湾に身投げする、というもの。

もう一つは、獣医グラニスとミス・ベイカーのエピソード。二人はマクティーグ夫妻と同じアパートの隣同士に住んでいるが、顔を合わせることはなく、壁越しに声を聞いている間柄。しかし、グラニスがトリナと同額の大金を得た後に、二人は部屋の境を取り払い結婚する。
キャストザス・ピッツ(右)とギブソン・ゴーランド

マクティーグ - ギブソン・ゴーランド(英語版)

トリナ - ザス・ピッツ

マーカス - ジーン・ハーショルト(英語版)

マクティーグの父 - ジャック・カーティス

マクティーグの母 - テンプ・ピゴット

トリナの父 - チェスター・コンクリン

トリナの母 - シルヴィア・アッシュトン

マリア - デール・フラー

ザーコウ - チェザーレ・グラヴィナ

グラニス - フランク・ヘイズ

ミス・ベイカー - ファニー・ミドグレイ

制作エーリッヒ・フォン・シュトロハイム(1920年)。『マクティーグ』の映画化を記者に語った頃

『グリード』の原作は、フランク・ノリスの小説『死の谷 マクティーグ』(1899年)。シュトロハイムは1920年1月の時点で、この小説を映画化したいとジャーナリストの一人に話していた[3]。シュトロハイムは1910年代前半にサンフランシスコに住んでいて、この小説の登場人物たちに近い貧乏暮らしをしていた[4]

1922年10月6日、ユニバーサル・スタジオで『愚なる妻(英語版)』『メリー・ゴー・ラウンド(英語版)』を監督後、タルバーグから解雇されたシュトロハイムだったが、翌11月20日にゴールドウィン・ピクチャーズと1年で3本撮る契約を結んだ[5]。1本あたり4,500?8,500フィート[6]、製作費は175,000ドル以下、14週で完成、報酬は30,000ドル[7]。他のスタジオからの誘いもあったが、芸術的自由を求めてそこを選んだ。プロデューサーのエイブ・レアーは「監督は各自、自分の特性・個性を活かすべく好きなスタッフを選び、施設を使っていい」と約束した[3]


レアーとしては莫大な予算をかけて『メリー・ゴー・ラウンド』のようなオペレッタ映画を撮らせるつもりだった。しかし、シュトロハイムはレアーを説得して、低予算で『グリード』を撮ることを認めさせた[8]。1923年のプレスリリースには、「これまでのように巨大セットに惜しみなく金をかけるくらいなら、セットはまったく使わないと(シュトロハイムは)改心(あるいは放棄)したようだ」と書かれている[8]

シュトロハイムは、カメラの動き、構図、色合いの指示まで細かく書き込んだ300ページに及ぶ脚本を書き上げた[9]。ノリスの小説から反ユダヤ主義を除去し、原作にはなかったマクティーグのファーストネームを作った[10]。また時代設定も原作から四半世紀後の1908年から1923年までとした[11]。実は『マクティーグ』は一度映画化されたことがあった。William A. BradyのWorld Pictures製作、ホルブルック・ブリン(英語版)主演の短編『McTeague(Life's Whirlpool)』(1916年)である[4]。批評家の評価は低く、シュトロハイムはブリンの演技を批判していた[12]


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