グランドフォークス_(ノースダコタ州)
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グランドフォークス市
City of Grand Forks

上空よりグランドフォークス市中心部を望む
愛称 : "The Grand Cities", "The Forks", "The Sunflake City"
標語 : "A Place of Excellence"
位置

右上: ノースダコタ州におけるグランドフォークス郡の位置
左: グランドフォークス郡におけるグランドフォークスの市域
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯47度55分31秒 西経97度1分57秒 / 北緯47.92528度 西経97.03250度 / 47.92528; -97.03250
歴史
市制施行1881年2月22日[1]
行政
アメリカ合衆国
 州ノースダコタ州
 郡グランドフォークス郡
 市グランドフォークス市
地理
面積 
  市域52.03 km2 (20.09 mi2)
    陸上  51.57 km2 (19.91 mi2)
    水面  0.47 km2 (0.18 mi2)
標高254 m (832 ft)
人口
人口2020年現在)
  市域59,166人
    人口密度  1,147.3人/km2(2,971.7人/mi2)
  都市圏104,362人
その他
等時帯中部標準時 (UTC-6)
夏時間中部夏時間 (UTC-5)
公式ウェブサイト : ⇒http://www.grandforksgov.com/

グランドフォークス(Grand Forks)は、アメリカ合衆国ノースダコタ州北東部に位置する都市。ミネソタ州との州境になっている北のレッド川(以下、特に断りの無い限り、「レッド川」はこの「北のレッド川」を指す)西岸、州の最大都市ファーゴの北約130km、カナダマニトバ州ウィニペグの南約230kmに位置する[2]。人口は59,166人(2020年国勢調査[3]で、ファーゴ、州都ビスマークに次ぐ州第3の都市である。グランドフォークスに郡庁を置くグランドフォークス郡、およびレッド川対岸のミネソタ州ポーク郡の2郡から成る都市圏は104,362人(2020年国勢調査)[4]の人口を抱えている。

グランドフォークスはレッド・リバー・バレーと呼ばれる、ノースダコタ・ミネソタ両州、およびマニトバ州にまたがる、南から北へと流れるレッド川流域に広がる平原にあり、洪水に見舞われやすい。1997年に起きたレッド川の大洪水では、市は壊滅的な被害を受けた[5]が、その後復興した[6]

もともとはカナダからやってきたフランス系の猟師や毛皮商たちがこの地に毛皮の交易所を設け、ル・グランド・フルシュ(Les Grandes Fourches)と呼んでいた。蒸気船の船長であったアレクサンダー・グリッグスは、この地で越冬せざるを得なくなった後、この交易所を町へと発展させ、これが今日のグランドフォークスの基となった。やがて1881年、グランドフォークスは市政を施行した。このグランドフォークスという名は、レッドレイク川がレッド川に合流する地点であることからつけられた[1]

グランドフォークスの地域経済は長らく農業に依存してきたが、21世紀に入ってからは、高等教育、防衛産業、保健産業、製造業、食品加工業、科学調査など多角化してきている[7]グランドフォークス国際空港を玄関口とし、グランドフォークス空軍基地も置かれている。グランドフォークスは州最古の高等教育機関であるノースダコタ大学[8]の大学町でもある。市内に立地するアレラス・センターおよびラルフ・エンゲルスタッド・アリーナではスポーツやその他のイベントが行われる。市内の大規模な文化施設としては、エンパイア芸術センターおよびチェスター・フリッツ講堂が挙げられる。
歴史グランドフォークス市中心部(1912年頃)

今日のグランドフォークス市がある、レッドレイク川がレッド川に合流するこの地は、ヨーロッパ人の入植以前から何千年にもわたって、ネイティブ・アメリカンの交易の拠点であった。初期のフランス系の探検家や罠猟師、毛皮商人たちは、この地をル・グランド・フルシュ(Les Grandes Fourches、英語のGrand Forksに相当、「大いなる分岐」の意)と呼んだ。この地がフランス植民地であった1740年代頃には、フランス系の毛皮商人たちはル・グランド・フルシュを重要な拠点としていた[1]

やがて、1818年条約で、この地を含む北緯49度線以南のルパート・ランドイギリスからアメリカ合衆国に割譲されたが、19世紀後半に至るまで、ネイティブ・アメリカンがこの地の住民の圧倒的多数派を占めていた。幾年にもわたる戦争の後、アメリカ合衆国は次々と条約を締結し、オジブワ族やその他のネイティブ・アメリカンから土地を奪っていった。1870年6月15日にこの地に郵便局が建てられ、地名が英語のグランドフォークス(Grand Forks)に改められた。同年末、後に「グランドフォークスの父」と呼ばれることになるアレクサンダー・グリッグス船長の蒸気船がレッド川を航行していた際、川が氷結し、グリッグスとその乗組員たちはグランドフォークスで越冬せざるを得なくなった。1875年にグリッグスはこの地に町を区画し、1881年2月22日、グランドフォークスは正式に市制を施行した[1]キャス・ギルバートが設計したグレート・ノーザン鉄道駅舎(1913年

1870-80年代、安い地価に惹かれた幾千人もの入植者がダコタ準州に移入し、その人口は増え始めた。その多くは小規模な家族農場を造ったが、中には何千エーカーにもおよぶ広い土地を購入し、大規模な農場を造り、耕作を監督し、商業作物として小麦を栽培する者もいた。1880年にセントポール・ミネアポリス・アンド・マニトバ鉄道(後のグレート・ノーザン鉄道)が、そして1887年ノーザン・パシフィック鉄道(本線からウィニペグへ至る支線)がグランドフォークスに開通すると、市は急速に発展し始めた[9]。ダコタ準州を南北分割してそれぞれ州昇格させる形でノースダコタ州が成立する6年前、1883年には、ノースダコタ大学が創立した[8]

20世紀前半には、グランドフォークス市中心部の南および西に新しい住宅地が造られた。また、1922年には、州有の小麦製粉所およびカントリーエレベーターである、ノースダコタ・ミル・アンド・エレベーターが市北部に完成し、操業を開始した[10]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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