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グラフィックデザイン(英: graphic design)は、主として平面の上に表示される文字や画像、配色などを使用し、情報やメッセージを伝達する手段として制作されたデザインのこと。
ポスター、雑誌広告、新聞広告、映画・コンサート・演劇・展覧会などのフライヤー(チラシ)、商品のパッケージデザイン、ロゴタイプ(ロゴマーク)など、多岐にわたる。近年では、コンピュータ上で表示されるインタラクティブデザイン、モーショングラフィック、ウェブデザインの中においても、写真や文字のデザイン、配置や配色、アイコン設計などを含むことがある。メディアの多様化により、デザインの中で特に「平面的な媒体表現」を超えた、広義なとらえ方に変化してきている。情報伝達と美術の融合として、展覧会なども行われる。
グラフィックデザインには、建築士のような国家資格は存在しない。そのため、技術や知識、センスにもさまざまなレベルがある。もともとのアイデアを視覚的に表現するデザイナーもいれば、大量生産用の商品や印刷物のデザインを行うものまで、さまざまである。
個人でもポスター、フライヤー(チラシ)、ロゴタイプ(ロゴマーク)、ウェブサイトなどをきれいに作成、複製することができるようになり、コンピューター普及以前に比べ専門的な知識を伴わない経験からの作成など、印刷物を中心にその行為が広がりを見せてきている。
アメリカなどでは大学のテキストの多くのページがカラフルで美しくデザインされている。これもグラフィックデザインであり、高度論理デザイン図(DLD: Dynamic Logical Design)と呼ばれている。 日本では1910年代の橋口五葉、和田三造、北野恒富、杉浦非水、片岡敏郎らの先駆的活動が見逃せない。 日本でグラフィック・デザインの本格的活動が開始されるのは第二次世界大戦後である[1]。 1950年代以前の日本では、あまりモダニズムのデザインは取り入れられていなかった。亀倉雄策は1931年に東京に創設された新建築工芸学院の学生であった。37年から48年までの間、文化雑誌のアートディレクターとして活躍した亀倉は、戦後の復興期に日本デザイン界で頭角を現した。亀倉の船頭の元、日本のグラフィックデザイナーたちの誰もが持っていた、視覚伝達は手描きでなければならないという観念を払いのけた。そして、応用美術が純粋美術より下位だという考えは、日本のデザイナーの職業的地位の確立によって消え去った。その後、亀倉は日本宣伝美術会を設立、新しい分野に中心と専門性をもたらしたその指導力によって、のちに日本デザイン・センターを設立する。64年に行われた東京オリンピックで亀倉の制作したロゴとポスターが喝采を浴びることとなる[2]。 その他、「グラフィック'55展 18世紀までは、ファッションを伝えるものは貴族などの肖像画だった。また、西欧にファッションプレートが登場するまでは、蝋人形が使用されていた。しかし、壊れやすくコストのかかる蝋人形の代わりにファッションプレートを生み出した。こうして、同じ時代に生きる人々に、グラフィックで情報を伝達していった[3]。 1980年代は、ファッションにとってもグラフィックにとっても大きな変革が起こった時期であり、その発展が現在につながっているとされている。この時代は、急速に進んだデジタル化や技術革新によって今まで以上に自由な創作が可能になった。アナログ化では、困難とされていた複雑なデザインも多く見られるようになった。1980年代前にもメッセージを持ったファッションは存在していた。その多くの場合が、自らの主張や価値観を主張するためにグラフィックを用いており1980年代に継続されていった。グラフィックデザインは、ファッションを使って情報や主張を伝えるために使われていた[4]。 さらに、現代のファッションにおけるグラフィックの活用域は、非常に広範囲である。ブランドロゴやTシャツのプリント、ジーンズごとのブランド広告、ショップバッグ、ホームページのデザインなど、すべてのグラフィックにそれぞれのブランド精神が反映されている。中でも、流行の出発点である、コレクション発表のためのインヴィテーションカードは、表現されるグラフィックとそれを活かす特殊な印刷・加工によって、もっともクリエイティブな存在であるといえる[5]。 グラフィックデザインは、印刷媒体による視覚表現で、印刷技術により生産される広告や新聞、ポスターのデザインを指す。 20世紀初頭、ロンドン地下鉄で「アンダーグラウンド」という路線図が発行された。「アンダーグラウンド」は、地図に路線ごとに色づけして描かれていたため、地図に書かれた道や建物が書かれており、情報が多く整理されていない。また、目的地までのアクセス、乗り継ぎの情報などが分かりにくいという欠点があった。 それに対し、ロンドン地下鉄の従業員のハリー・ベックは、通勤通学の経路を図式化し、これを用いて、1933年、ロンドン地下鉄の路線網の位相図を完成させた。地理的な距離を無視する代わりに、路線を直線、駅を正方形、乗り継ぎ駅をひし形で表し、幾何学的な構造で描かれた。ハリー・ベックの路線図は、シンプルなデザインで見やすく、情報が整理されていることから、発行後、すぐに地下鉄利用者に気に入られ、現代の日本の路線図も同じ表現で描かれている。 研究を発展させるため、プレゼンテーションや論文へ付加価値をつけるグラフィックデザインの力は欠かせない。どんなに立派な研究内容であっても図解が拙劣であるとマイナス要素になってしまう。
日本の歴史
グラフィックデザインの利用
ファッション
まちづくり
路線図1908年ロンドンの地下鉄路線図
映像/建築
プロジェクションマッピング
東京ビッグサイトにてプロジェクションマッピングは、映像を建物など凹凸のあるものにプロジェクターを用いて、投影する手法。音楽やレーザー光線などと組み合わせて演出されるものが多い。2008年に開催された北京五輪の開会式でプロジェクションマッピングが用いられたことから、日本でも注目を集め、現在、イベントや政策に用いられている。ここで、代表的なものを紹介する。
東京駅 丸の内駅舎保存・復原工事完成記念プロジェクションマッピング 「TOKYO STATION VISION」
2012年9月22日、23日に東京駅丸の内駅舎保存・復原工事の完成を祝うイベントで、当時の姿に生まれ変わった駅舎をスクリーンとし、「時空を超えた旅」をテーマに東京駅や鉄道などの歴史を表現された映像が投影された。
創成川公園南側 「SYNCHRO FIELD(シンクロフィールド)」
2012年8月31日、9月1日に創成川公園南側(札幌市)で3Dプロジェクションマッピング 「SYNCHROFIELD」が行われた。2006年から「創造性」をテーマに、自然資源やアートなどを利用したまちづくり政策「創造とし さっぽろ」の取り組みの一環として行われたイベント。公園内の川の水面をスクリーンとし、「生命の誕生」をテーマに作られた映像が投影された。
大歴史絵巻 プロジェクションマッピング
2015年12月19日、20日に住道駅前デッキ(大阪・大東市)で、歴史的資源を活用したまちづくり事業の一環として、大東市の歴史を題材に描かれた映像が投影された。プロジェクションマッピングの手法を利用し、大東市の歴史や魅力を広く発信し、地元の方々に市への愛着や誇りを高めると同時に、住道駅のさらなる繁栄・にぎわい、人々の交流を目的として行われた。
科学
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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