グラディス・パーカー
Gladys Parker
グラディス・パーカー(1934年)
生誕1908年3月21日
アメリカ合衆国 ニューヨーク州トナワンダ
グラディス・パーカー(Gladys Parker、1908年3月21日 ? 1966年4月28日[1])は、アメリカ合衆国の漫画家で、ファッションデザイナー。代表作はコミック・ストリップの『Mopsy(英語版)』(1937年 - 1966年)。1930年代から1950年代にかけて活躍した数少ない女性漫画家の1人である[2]。
生涯(英語版)の生まれ。母はキャロライン[1]。7歳の時に足を怪我し、回復するまでの間、自分自身をモデルにして絵を描き始める[3]。トナワンダ・ハイスクール在学中にニューヨークの雑誌社に漫画を売り込む[4]。ハイスクール卒業後は短期間だが材木置場事務所で働き、洋裁も得意だったことから友人や自分向けの洋裁店を自宅に作る[3]。ファッション画を勉強するため、トラファーゲン・スクール・オブ・ファッションに入学し[3]、1928年に卒業する[5]。
新聞漫画を始めたのは『New York Graphic(英語版)』紙で、1928年頃、連載中だったコミック・ストリップ『May and Junie』(1926年 - 1928年)を引き継ぎ、最後を締める[6][3]。
それからUnited Feature Syndicate(英語版)で2年、NEA (Newspaper Enterprise Association(英語版)) で7年間働く[3]。この間、1928年にフラッパーもののコミック・ストリップ『Gay and Her Gang』(1928年 - 1929年)を連載[7]、1930年3月21日から1935年まで、女性漫画家エセル・ヘイズ(英語版)の創造したコミック・ストリップ『Flapper Fanny Says』(1925年 - 1940年)を描く[8]。
NEAには1936年までいたが、この時期にラックスのためにもコミック・ストリップを描いていた[9]。
1937年[10]、自分自身をモデルにした『Mopsy』を創造し、その経緯については「Mopsyを思いついたのは漫画家のルーブ・ゴールドバーグ(英語版)から私の髪の毛がモップみたいだと言われた時。数年前のことで、それからずっと彼女のことばかり考えてたわ」と語っている[3]。
1945年からカラーのサンデー・ストリップ(日曜版漫画)版『Mopsy』も始まり(コミック・ストリップ#ニュースペーパー・コミック・ストリップを参照)、付録の「Mopsy Modes」という着せ替え紙人形も描いた。