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この項目では、古代ローマ皇帝について説明しています。西欧中世の法学者・修道士については「ヨハンネス・グラティアヌス」をご覧ください。
グラティアヌス
Flavius Gratianus
ローマ皇帝
グラティアヌスが印された硬貨
在位367年 - 383年8月25日
出生359年4月18日/5月23日
ローマ帝国、下パンノニア属州、シルミウム
死去 (383-08-25) 383年8月25日(24歳没)
ローマ帝国、ガリア・ルグドゥネンシス属州、ルグドゥヌム
配偶者フラウィア・マクシマ・コンスタンティア(コンスタンティウス2世の娘)
ラエタ
子女男子(生没年不詳。母はコンスタンティア)
王朝ウァレンティニアヌス朝
父親ウァレンティニアヌス1世
母親マリア・セウェラ
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グラティアヌスが印された硬貨
フラウィウス・グラティアヌス(ラテン語: Flavius Gratianus, 359年4月18日か5月23日 - 383年8月25日)は、ローマ帝国の皇帝(在位:367年 - 383年)。異母弟にウァレンティニアヌス2世がいる。 ウァレンティニアヌス1世の長男として生まれ、367年に8歳で西方正帝の称号を受ける。 375年に父ウァレンティニアヌス1世が死亡すると、イリュリクムのローマ軍団が不穏な動きを見せた。当時まだグラティアヌスは16歳にすぎず拠点もトリーアであったため、フランク人の老臣メロバウデスがシルミウムでグラティアヌスの異母弟ウァレンティニアヌス2世をグラティアヌスの共同皇帝に擁立し、軍団にウァレンティニアヌス2世への忠誠を誓わせることで事態を収拾した[1]。この処置にグラティアヌスは不満もあったようだが、結果としてはメロバウデスの処置を受け入れることとした。 376年頃から東ローマ帝国は蛮族の蜂起に苦しむようになり、グラティアヌスは東帝ウァレンスを支援するためにメロバウデス、リコメル、バウト、アルボガストといった重臣達を度々東方へと派遣した。
生涯