グラックス兄弟
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19世紀の彫刻家、ウジェーヌ・ギョームによるグラックス兄弟の像

グラックス兄弟(グラックスきょうだい)は、古代ローマセンプロニウス氏族グラックス家に生まれた兄弟、ティベリウス・センプロニウス・グラックスガイウス・センプロニウス・グラックスの2人を指す。

共和政ローマ末期、戦争が続き社会的な疲弊を感じたティベリウスは、紀元前133年護民官となりローマの改革に着手するものの、元老院の反発に遭い暗殺される。紀元前123年には弟のガイウスが護民官に就任して改革を再開するが、兄よりも広範囲に急激な改革を目指したため抵抗が強く、紀元前121年に反対派によって自殺に追い込まれた。2人の死後、グラックス派は一掃され、矛盾と対立に満ちた「内乱の一世紀」へと向かうことになる[1]
出自詳細は「ティベリウス・グラックス」および「ガイウス・グラックス」を参照

兄弟の父親は大グラックス、母親はスキピオ・アフリカヌスの娘コルネリア・アフリカナ。姉にスキピオ・アエミリアヌスの妻センプロニアがいる。

グラックス家は血統的にはプレブスであるが、紀元前238年には執政官を出しており、実質的にはノビレスと考えられる[2]
背景

ポエニ戦争などの戦役を通じてローマは領土を拡大していったが、それに伴って農地は荒廃し、中小農民の没落を招いた。彼らは農地を手放しローマなどの大都市へ流入することとなった。一方、戦勝によって富んだ有力者(ノビレスら)は、中小農民が持っていた農地を手に入れ、奴隷を使役して大土地所有(=ラティフンディウム)を拡大していった。中小農民はローマ軍団の主力を担っており、彼らの無産市民(プロレタリイ)化はすなわちローマ軍の弱体化を意味していた。これを受けて、有力者によって事実上占有されていた公有地(アゲル・プブリクス)の再配分を行い、中小農民の救済を目指したのがグラックス改革である。というのが従来の説明である。しかしながら、この説明には考古学的に矛盾がみられ、近年ではあまり研究対象とされなくなってきている[3]
考古学的見地

プルタルコスのティベリウス・グラックス伝では、彼がエトルリアを通った時、荒廃した土地を見てこの改革を発想したとされている。しかしながら、近年の発掘調査の結果、エトルリアで大規模農園が中小農民を駆逐していたかは疑問であり、むしろ農繁期の労働力として中小農民が必要とされ、大規模農園と共存していたのではないかと推測する説もある[4]。また、研究によっては南エトルリアにラティフンディウムが展開されていた考古学的な痕跡がないとするものもあり、逆に帝政初期までに中小農民が増えているようにも読み取れるという[5]。更に、ハンニバル戦争時に大規模小規模にかかわらず農村部の全面的な衰退がみられた後、むしろ漸減し続けているという研究もある[6]。そもそもプルタルコスはガイウス・マリウス伝では、紀元前87年に北アフリカからテラモン(現タラモネ(英語版))に上陸したマリウスが6000の兵を集めたとしている。彼が言うほど荒廃していれば、これほどのローマ市民はいなかったはずであり、考古学的にもエトルリア南部は紀元前2世紀にかなり開発が進み、紀元前1世紀にかけて発展したことがうかがわれるという[7]

これらの考古学的な研究成果からは、ラティフンディウムと中小農民という単純な二分化の欠陥が浮き彫りとなっている[8]。ローマ史研究者の間でも、共和政の研究者と帝政の研究者は、それぞれ大土地所有のピークを共和政末期と帝政初期と考えており、見解の相違があるという[9]
ケンスス

史料から明らかになっているケンソルによるケンスス(国勢調査)の結果から中小農民の没落を読み取ろうとする試みがあるが、このケンススの数字が徴兵可能な年齢層だけを表すのかどうかも見解が分かれており、ハンニバル戦争後に半減した数字も、少なくとも紀元前160年代には戦前より大きくなっており、ここから没落を読み取ることは難しい。また、ローマ市民は資産に応じてクラス分けされていたが、ケンススの数字の増大は、軍務資格の境界線である第5クラシスの資産価値の切り下げが行われた結果であるという主張があるものの、戦争中にアス (青銅貨)の切り下げが行われ、紀元前211年頃にはセクスタンス・アスの導入、更には紀元前141年頃アスからセステルティウスに置き換えられるなど貨幣価値の変動があり、単純にそうとは言えず、また引き下げられたとしたら、中小農民でも第5クラシスに踏みとどまった可能性もあるという[10]

ケンススは同盟市戦争後停滞し、共和政末期と帝政初期の数字には大きな乖離が見られる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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