グラス・スティーガル法
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グラス・スティーガル法

アメリカ合衆国の連邦法律
英語名Banking Act of 1933
通略称Glass-Steagall Act
制定日1933年6月16日
効力現行法
種類金融法
主な内容銀行業務と証券業務の分離
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グラス・スティーガル法(Glass-Steagall Act、1933年銀行法)は、1933年に制定されたアメリカ合衆国の連邦法である。連邦預金保険公社(FDIC)設立などの銀行改革を含む。いくつかの条項はレギュレーションQのような投機の規制[1]を行うように設計されていた。それについては預金口座の金利を管理する連邦準備制度理事会(FRB)が1980年のDepository Institutions Deregulation and Monetary Control Actによって無効を認めた。また、銀行持株会社による他の金融機関の所有を禁止する条項は、グラム・リーチ・ブライリー法によって1999年11月12日に廃止された[2][3]
背景カーター・グラス(左)とヘンリー・スティーガル(右)

2つの別々のアメリカ合衆国法がグラス・スティーガル法と呼ばれている。

どちらも、バージニア州リンチバーグ民主党上院議員で元財務長官カーター・グラスと、アラバマ州の民主党下院議員ヘンリー・B・スティーガル(英語版)(銀行通貨委員会議長)が提出した。

最初のグラス・スティーガル法は、デフレーションを止める努力をするという内容で1932年2月に可決され、国債のような多くのタイプの資産を商業手形と同様に再割引を提供する連邦準備制度の能力を拡大した[4]。第2のグラス・スティーガル法は、1933年前半のアメリカの商業銀行システムの大規模な崩壊に対応するもので、1933年に可決された。

共和党ハーバート・フーヴァー大統領は、1932年11月のアメリカ大統領選挙で民主党のフランクリン・ルーズベルトニューヨーク州知事に敗れたが、政権は1933年3月まで変わらなかった。死に体のフーヴァー政権と後任のルーズベルト政権は、1933年1月にヘンリー・フォード家が引き起こしミシガン州デトロイトで始まった取り付け騒ぎの抑止で協調して行動できなかったか、あるいはしようとしなかった。FRB議長ユージン・メイアーも、役に立たなかった。

多くの経済史家が崩壊の原因を1929年株価大暴落から続いた経済問題(世界恐慌)にあると考えるが、経済学者の中には金に裏付けされた通貨が、ドルに対する信用を失った外国人と、合衆国が金本位制から離脱するのではないか(これはルーズベルト大統領が大統領令6102(1933年4月5日の金没収法)[5]へ署名したことで実際に起きた)と恐れた国内の預金者によって引き出されたことにあると考える者もいる[6]

アメリカ議会図書館議会調査局による要約によれば、

「19世紀と20世紀の初期には、銀行家と株式仲買人は、時々見分けがつかなかった。それから、1929年以後の大恐慌において、議会は1920年代に起こった「商業」と「投資」銀行業の兼業を調べた。審理によって、一部の銀行業務機関の証券活動における利害対立と詐欺が明らかになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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