グノシエンヌ
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『グノシエンヌ』(Gnossiennes)は、エリック・サティ1889年から1891年1897年に作曲したピアノ曲。サティが24歳の時に作曲した第1番から第3番の3曲は「3つのグノシエンヌ」として有名である。
概要

題名は、従来は古代ギリシアクレタ島にあった古都クノーシスに由来するというのが定説だった[1]。しかし、グノーシス派[注 1]に由来したサティによる造語であると説明する人[1][2]もいる。

サティが生前に「グノシエンヌ」の題名で発表したのは、「3つのグノシエンヌ」(グノシエンヌ第1番、第2番、第3番)の3曲のみである。サティの死後、他に3曲が発見され「グノシエンヌ」の題名で出版されたが、自筆譜に「グノシエンヌ」の題名が書かれていたわけではなく、作曲時期や曲の傾向から「グノシエンヌ」と勝手に命名されたにすぎない[3]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}古代ギリシャの詩の脚韻を踏んだリズムが伴奏部に使われている。[要出典]

「3つのグノシエンヌ」には、プーランクによるオーケストラ編曲版(1946年編曲)が存在する[3]
曲の特徴.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}第1番2010年11月16日演奏第2番2010年11月16日演奏第3番2010年11月16日演奏第4番2010年11月16日演奏第5番2010年11月16日演奏第6番2010年11月16日演奏これらの音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。

ジムノペディ』よりも東洋的な雰囲気は、1889年のパリ万国博覧会で民族舞踊合唱団を通じて知ったルーマニア音楽の影響だと言われている。「思考の端末で」「うぬぼれずに」「頭を開いて」等、この曲の演奏者への助言として付された奇妙な注意書きがある。
第1番

1890年作曲。拍子記号も小節線もなく、音楽と時間に対するサティの自由な思考が窺える。「思考の隅で…あなた自身を頼りに…舌にのせて」などと書き込まれている。
第2番

1890年作曲。第1番と同様に小節線を持たず、バスの一定の音形の上にのびやかな旋律が歌われる。楽譜には「外出するな…驕りたかぶるな」といった注意書きがみられる。
第3番

1890年作曲。増2度が多用された旋律が、東洋風の響きを醸しだしている。「先見の明をもって…窪みを生じるように…ひどくまごついて…頭を開いて」といった書き込みが暗示的。
第4番

1891年1月22日の日付が自筆譜に書かれている[3]。冒頭に「ゆっくりと」の指示がある[4]。他の「グノシエンヌ」とは異なり、左手はアルペジオによる伴奏である[5]。サティの死後発見され、ロベール・キャビー(英語版)の手で1968年にサラベール社から出版された[3]
第5番

自筆譜に1889年7月8日の日付が書かれている[4][3]。6曲の中で最も早期の作品。「モデレ」(中庸の速度で)の指定があり、他の「グノシエンヌ」と異なりこの曲にのみ小節線が書かれている[4]。作曲時期に開催されていた、1889年のパリ万国博覧会ジャワガムラン音楽とルーマニアやハンガリーの音楽から霊感を受けて作曲されたと言われている[4][6][7]。サティの死後発見され、ロベール・キャビー(英語版)の手で1968年にサラベール社から出版された[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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